ドリーム小説

夜ぞ長き

update : 2020.09.26
社会人で同棲している幸村とその恋人の金曜日


 暑い夏の夜を経て、心地良い涼しい夜がやってくる。夏と比べ、長くなったその夜を賞嘆する言葉。実際の夜の長さだけでなく、気分的にもどこかその涼しい夜の長さが身に沁みる。


     ***



「夜長って言うよね」

 夜、お風呂も入り終わって、あとはベッドで寝るだけ。その少しの間、いつも通り寝室のベッドで二人揃ってお気に入りの本のページを捲る。
 私は最近お気に入りの作家の文庫本、精市はちょっと難しそうなハードカバーの本をここ最近は読み進めている。
 そんな彼がぽつりと零した言葉。

「夜長?」
「うん。秋が深まるにつれて、夜が長く感じられることだよ」
「へぇ、やっぱり精市は物知りだね」
「そんなことないと思うけど」

  ぱたり。ハードカバーの本を閉じて、精市はベッドの背もたれに体を預けていた私をそっと引き寄せた。私よりも少し高い体温が心地良い。

「どうしていきなり夜長なんて?」
「こういうときを夜長って言うのかなと思ってね」

 精市の顔がこちらの方に埋められる。彼の鼻先が首筋に当たってくすぐったい。

「秋になると自然と夜も涼しくなるだろう? その夜が気分的にも長く感じることを言うんだって」
「気分的にも?」
「残暑もなくなるから、夜に読書とか勉強とかが捗る。その穏やかに流れる心地良い時間が自然と長く感じるってことだと思うよ」
「ちょっと難しいかも」

 そう言った私にくすりと笑う彼の手の中にあった本は、もうすでにベッドの脇に置いてあるチェストに置いてある。私もそれに倣って閉じかけていた本をぱたりと閉じて、精市に問いかける。

「もう寝る?」
「んー、まだ」

 悪戯っぽく笑って精市は私の手から本を奪い取ってチェストに置く。
 私の髪にそっと触れて、梳いていく。まるで壊れ物を扱うように大切に触れられて、少し気分がくすぐったい。



 囁かれた自分の名にどきりとして、咄嗟に精市、と呼ぶ声は彼によって飲み込まれた。

「っ、……んぁ、」

 所謂そういう雰囲気にはなっていたものの、それでもいきなりの口づけに驚いて、思わず身を引こうとする。しかし、ずっと私の髪を梳いていた彼の手が後頭部に回って逃がさないというように私を押さえつけた。

「ふっ、んぅ……っぁ」

 逃げようとするも、彼の体が覆いかぶさってきて逃げられない。当然のように逃げることは許されず、どうしようもないまま私は精市を受け入れる。
 ちゅ、と音を立てながら唇を舌で舐められる。食まれた唇から吐息が漏れた。

「んんっ、」
「っ」

 吐息が漏れ、僅かながらに開いた唇の隙間に舌を滑らせた精市は、熱くなった舌で私の口内を蹂躙する。歯列をそっとなぞり、続けて逃げていた私の舌に絡ませた。
 気付いたらベッドの背もたれに預けていた体はベッド自体に沈められていて。後頭部を抑えていた彼の片手は私の手に絡んでいた。

「ぁ、やっ……ん」

 長く続けられる深い口づけに体が震える。先ほどまで逃げようと奮闘していた自身の舌もすっかり大人しくなって、精市にされるがままになっていた。
 でもさすがに苦しくなってきて、やめてくれるように彼の体を叩く。

「は、っ」
「気持ちよかった?」

 楽しそうに笑う彼にそう問いかけられて、自分の表情が今どんなになっているのか嫌でも思い知らされたような気がした。

「ばか」
「そんな顔で言っても可愛いだけだよ?」

 そう言ってまた顔を近づけてくる彼を確認して、目を閉じる。でもその唇が触れたのはぎゅっと閉じた瞼だった。優しく触れた唇が離れていって、再び髪が梳かれる。

「期待した?」
「あほ」

 もうそれしか言えないね。
 からかう彼に翻弄される私はいつも通りだ。いつだって彼には勝てない。

「知ってる? 夜長は長く感じられるから読書に最適だけど、当然夜業にも身が入るんだよ」
「夜業?」
「夜に行う仕事のことだよ、深夜業ともいうかな」

 夜に行ってれば飲食業でも運搬業でも何でもいいんだけど、と前置きした上で、精市はにっこりと私に笑いかけた。
 この男がこういう顔をするときは大体良いことはない。逃げ場などはどこにもないが。

「俺たちの場合は、これ」
「んっ」

 短パンのパジャマによって剥き出しに晒された太腿をするりと撫でられて、思わず声が漏れる。
 精市はそんなことは気にせず、私の首筋に口付けた。

「っ、せ、ぃいち、明日仕事あるって、っ」
「土曜出勤だから昼からだよ。大丈夫」

 たった一言で私は丸め込まれて、目の前の男を受け入れてしまう。
 そんな自分の体が少し憎たらしいし、私の体をこんな風にした目の前の男もまた等しく憎たらしい。
 けど、それ以上に愛しくてたまらない。
 深い藍の髪に手をやって梳く。未だ私の首筋に舌をやっていた精市は一瞬動きを止めたものの、またちゅっと吸って跡を付け始めた。

「くすぐったいよ」
「色気がないな」
「私に色気を求めないで」

 いくら私に色気がなくても、絶賛同棲中の彼女に対してそんなことを言うかと背中を叩く。
 冗談、という彼は私を抱きすくめた。

「精市?」

 私の呼びかけに反応しない彼はどこか怯えているようだった。
 抱きすくめた私の体をさらに何かから守るように、回した腕に力を入れる。

「秋は寂しいよね」
「寂しい季節だとは聞いたことあるかな」

 秋は寂しい。
 そう言った彼は自分を落ち着けるようにはっと息を吐く。吐いた息が耳を掠めて体をよじる。

「いつも冬に向かって進む秋になると、どこか怖く感じるんだ」

 それはいつか聞いた、彼の中学時代での出来事のせいだろうか。
 全国三連覇へと向かう中学二年生の冬、突然彼を襲った病。乗り越えたと言っていたけれど、それでもそのときの出来事は彼の奥底に暗い暗い闇として眠っているのだろうか。
 でも、どうか忘れないでほしい。
 私は彼の髪を梳いていた手をそっと背中に回して、出来るだけ優しく、私よりも大きいその背を撫でた。

?」
「精市、私はあなたの中学時代のことはあなたから聞いたことしか分からない。けど、それがあなたをまだ苦しめているのなら、私は精市を支えたいと思う」
「……」
「ずっと一緒だよ。精市が望む限り、ずっとそばにいるから。だから、一人で抱え込まないで」

 精市の全てが分かるなんて言えない。言わない。
 少なくとも彼の中学時代の悲劇については、私なんかよりも今も仲がいい当時の仲間たちの方が知っているし、今までも支えてきたのだろう。
 でも、それでもこれから彼に寄り添うのは私であってほしい。許されるのなら、彼の隣に立って、その大きな背が揺れたときに支える存在でありたい。
 あなたの支えになりたい。

は、優しいな」
「精市には負けるよ」

 力なく笑う精市を抱きしめる。



 私の名を呼んだ彼が起き上がって、私から体を離した。至近距離で交わる瞳が、甘く細められた。

「俺はもう、ずっとに支えられてる」
「本当?」
「本当だよ。きみに出会ってからずっとだ」

 きみが俺に笑いかけてくれるだけで、ただそれだけで、俺は支えられているんだ。
 そう言葉を紡いだ精市は、こつんと額を合わせた。

は気付いていないかもだけど、俺はそれだけきみに支えられているんだよ。だから、そう不安にならないで」

 不安。そう、私は不安だったのだ。
 これから長く続くであろう未来。私は精市と歩みたいと思っているけれど、彼はどう思っているのか。彼自身からは聞いたことがなくて。
 だから、気分が寂しくなる秋という季節。その季節が訪れて、どうしても不安になってしまったのだ。

「私が精市を慰めるつもりだったのに、逆に慰められちゃったね」
「そんなことない。俺はいつもに助けてもらってるんだから」

 いつの間にか近づいていた瞳が閉じられる。私も同じように閉じて、彼を受け入れた。

「ん、」
「っ」

 優しく髪が撫でられて、それをとても心地よく思う。

「なぁ、いいだろ?」
「色気はないよ?」
「まだ気にしてたの」
「精市が言ったくせに」

 そうだったなと苦笑して、すぐに真剣な表情を浮かべる。

「俺にとってはどんなでも愛しいんだよ」

 甘い囁きに、体が熱くなって、どろどろにとろけそうになる。
 秋の夜は、まだまだ長い。


夜ぞ長き

企画サイトremedy様の季節(秋)のお題にそって書いた作品です。結構途中まで着地点が見えなかったんですが、気付いたら二人の中にある不安について少し触れていました。秋ってどこか寂しい気分になる季節ですよね。
(2020.09.26)

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