ドリーム小説

花に祈るということ

07

『これ、栗山さんに』

 そう言って幸村がに手渡したのは、片腕に抱いていた色とりどりな花束。このフリースペースに姿を現したときから腕に抱えていたが、もしかしなくとものために用意していたものだったのだろう。
 はそれを両腕を使って、宝物を抱くように受け取った。花たちが潰れないように腕の中で抱きしめて、咲き誇るそれらに鼻を控えめに埋める。すーっと肺いっぱいに息を吸い込むと、芳しい香りがを包んだ。
 その様子を優しげな表情で見守っていた幸村は、目尻を下げて、さらに穏やかな顔つきになっている。そんな幸村を部員の誰かが見ていたら、きっと驚愕で腰を抜かしてしまう。元来優しく穏やかな幸村だが、部活中は真田に負けず劣らず、鬼のように厳しいのだ。
 しかし2人に視線を向ける者などここにはいない。フリースペースに来るのは暇を持て余した幼い子供たちやその親が多い。彼らは自分のことに精一杯か、もしくはそんな子供たちを見守っているからだ。
 だからの蕩けたような笑顔も、幸村の愛情が詰まった微笑も、誰も気付かない。
 誰も知らない。
 もちろん、それは互いも同じだった。

『ありがとうございます、幸村先輩』

 左手の甲を上に向け、右手で手刀を作り、その形のまま左手の甲を1度ぽんと叩く。それと同時に頭を下げる手話。
 これは初めて2人が出会った日。が初めて幸村に対して、伝えた”言葉”であった。
 それをも幸村も覚えている。

『どういたしまして』

 だから、幸村は穏やかに笑ったのだ。


     ***



 あれから1ヶ月ほど経った頃、全国中学生テニス大会が開催された。
 決勝戦は関東大会と同じカード、つまりは青春学園対立海大付属。
 前回は入院により参加できなかった立海の部長である幸村も復活し、これで立海の優勝に死角はないと言われていた。実際、幸村もそう思っていたし、シングルス3とダブルス2の面々が勝利したことで口元に笑みを浮かべたものだ。しかしそこからの青春学園の粘りは目に見張るものであった。シングルス2、ダブルズ1と立海を下していき、ついに王者である幸村をコートの上に引きずり出したのだ。
 それには流石の幸村も驚いた。もちろん油断していたわけではない。それでもまさか相手がこれほどのものとは思っていなかったのだ。
 なるほど。関東大会で真田たちが苦戦したのもわかる。しかしどんな理由があろうとも、立海には勝利しか許されない。たとえ相手が1年生のルーキーであろうと、手を抜くことはせずに叩き潰すのみ。
 そう意気込んで、幸村はコートに立った。対峙するのは、以前真田を下した越前リョーマ。生意気なルーキーながら、それでもそれに似合う実力を持ち合わせている少年。幸村は自分よりも2つ年下の少年を見据えながら、中継で自分のことを見ているだろう少女のことを想って、ラケットのグリップを握る手に力を込めた。

『決勝戦、応援してます』

 幸村が渡した花束を抱きしめて、どこかそれに縋るように、祈るようにはそう言ったが、幸村だって彼女に勇気を与えるために戦うのだ。
 我らは負けてはならない。そこに、少しの彼女への想いも込めて。



 しかし、結果として幸村は敗北した。自分よりも年下の越前リョーマに。
 負けが決定した瞬間、幸村の胸の内を襲ったのは、言いようのできない感情だった。
 王者たるもの、絶対に負けてはならない。常勝を掲げる己が、負けた。
 それは幸村にとっては受け入れがたいことで、しかし受け入れるしかない現実であった。
 どこか呆然として、幸村はチームメイトたちを見回した。
 この試合に出た立海生の中では唯一2年生の赤也が泣いている。それに柳が声をかけているが、いつもは動揺することがないその声が震えていることに幸村は気づいてしまった。ジャッカルと丸井はぐっと拳を握って項垂れている。プラチナペアと呼ばれる自分たちが負け、それが最終的に立海の敗北に繋がったことを責めているのだろう。それは同じく負けた仁王も同じで、いつもは飄々としている表情が崩れている。真田は副部長としてしっかりと土を踏みしめて立っているが、唇をきつく噛み締めていた。
 チームメイトたちは見回して、幸村はあぁと意識することなく声を漏らした。

 ──俺たちは負けたのか。



 漏れた自分の声が、まるで自分のものではないように、他人事のように感じつつ。
 それでもそこで幸村は納得した。己の敗北を。


     ***



 幸村がに、が幸村に対して、それぞれの戦いへのエールを送ったあと、は正式に病院側に手術の話を受け入れると申し入れた。そこから精密検査を数度繰り返し、ヒアリングをし、手術の日程も決定した。
 偶然にも、全国大会決勝の翌日だった。

『手術頑張ってね!』

 親友である楓からのメールが表示されたスマホの画面を見つめて、思わず笑みがこぼれた。手術の日、どうしても不安になってしまうのは仕方がないことだ。それをは友人からのメッセージによって、心を落ち着けようとしていた。
 午後の手術まで、まだ時間がある。他の友人も朝一で励ましに来てくれた。両親は昼が過ぎたらやってくるらしい。
 それまでに騒いでいる子の心をできるだけ落ち着けたい。できれば、両親には心配をかけたくないのだ。
 体にかかった布団を握る手に、無意識的に力がこもった。
 じっと自分の手を捉えていた視界に、よりも大きな手が侵入してきた。あのときのデジャブである。そしてその手は痛いほどきつく握りしめられていたの手に重なった。は視線をその手から、腕に辿らせ、最終的に深い藍の瞳に行き着く。
 初めて出会ったとき、まるで宝石のようだと感じた幸村の瞳だ。
 ゆきむらせんぱい、と、その響きを知らない音を、人々の口の動きでしか捉えることができない音を、口の中で呟いた。当然、は音自体を知らないのだからその呟きは声にはなっていない。それでも幸村はそれに気づいて、の好きな微笑を浮かべた。

さん』

 その微笑を向けられた瞬間、どんなに心を落ち着けても消えることのなかった、まるで暗闇のような行き場のない不安が、の中で一気に晴れていった。


花に祈るということ

ハロウィン企画が終わり、燃え尽き症候群でしたが、やっと連載に取り掛かります。毎度立海全国の漫画を見るたびに、今回は幸村くん勝つんじゃないかと幻想を抱いてしまう人間です。
(2020.11.05)
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Since : 2020/09/20 -
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