04
今日も今日とて、病院のフリースペースに集まって、私たち2人はおしゃべりをしていた。最近は専ら、テニスの話ばかりしている。正直、私は今までテニスという競技に興味がなくて、ルールがほとんど分からなかった。ただネットを挟んで、ラケットでボールを打ち返すということくらいしか知らない。だからそんな私の話を聞いた幸村先輩がそれはそれは丁寧にルールを説明して、テニスのどこがいいのかなどを教えてくれたのだ。先輩の説明はとてもわかりやすく、今まで興味のなかったテニスというスポーツに対して、今は興味津々なのである。そして、そんな私を察して、幸村先輩はテニスを始めたときのことだったり、初めて勝った試合のこと、部活のことを沢山話してくれた。
そんな会話を手話と筆談を織り交ぜながら交わしているとき、幸村先輩は私に問うた。
『そういえば、さんは読書が好きなんだね』
『1人でもできることっていったら限られますからね』
『あぁ、確かに。それはわかるよ。俺も暇で暇で仕方なくて、結構読んでるからね』
入院中は非常に暇だ。特に1人部屋に入院していると、そこに話し相手はいない。たまにやってくる看護師さんも1人の患者のために時間を使い果たすことは許されない。
故に、1人でできることを探した。
元から読書は好きだった。幼い頃から沢山の本を読んできたし、今もそれは変わらない。それが入院して、読書好きにさらに加速がかかったような感じだ。
『よかったら、今度オススメを紹介しましょうか?』
『ほんと? それは嬉しいな。今持ってる本は全部読み尽くしちゃってね。2周目の本もあって、正直飽きていたんだ』
だから助かるよ。嬉しそうに笑う幸村先輩につられて、こちらも思わず笑顔になる。最近は彼とよく話すようになって、笑う回数も増えたような気がする。
楓にも表情が豊かになったと指摘されたばかりだ。恋でもしたの、なんて言っていたけれど、まさか。
『それ、素敵なしおりだね』
幸村先輩が指さしながら示したのは、私が本に挟んでいたしおりだ。ずっと使い古しているしおりのため、少しだけ汚れがついてしまっているものの、私のお気に入りのしおりである。
『はい、ずっと使ってるんですよ』
『見せてもらってもいいかな?』
『どうぞ』
本の間からしおりを抜き取って、幸村先輩に渡す。しおりをまじまじと見つめてた先輩はセロハンでしおりに挟んだ花について問う。
『これってミセバヤ?』
『あ、そうです。よく分かりましたね』
『これでも一応、花が好きだからね』
ミセバヤとは、古くから日本で園芸用として栽培・改良をされた、所謂古典園芸植物の一種である。
『人からプレゼントされて、それで枯れてなくなっちゃうのが勿体なかったので、せめてしおりにしようかと思って』
『へぇ。こんなに大切にしてくれるなら、プレゼントした相手もきっと嬉しいだろうね』
『これ、私にとっての宝物だから』
『そっか』
穏やかに笑う幸村先輩に見とれて、それに気付いた先輩が首を傾げた。
『どうかした? さ、』
こちらに話しかけた幸村先輩の口は、でも途中で止まって、先輩はフリースペースの入り口に目をやった。何だろうと私も同じように入り口に視線を移すと、そこには立海大付属中学の制服を着た男女数人がこちらに向かって、正確には幸村先輩に向かって手を振っていた。
彼らはこちらにやってくるとすごい勢いで幸村先輩に話しかけ出す。口の動くスピードが速すぎて、流石に彼らが何と言っているのかは分からなかった。
幸村先輩は話途中だったこちらを気にしつつも、同級生を無視することもできないのか、少し困った顔をしながらも彼らに対応していた。でも、その困った顔もすぐに笑顔に変わっていく。同級生達も楽しそうに笑っていて、羨ましく思った。
──私もあんな風に、普通に先輩とお話ししてみたい。
今までずっと考えないようにしていたことが、一気に頭の中を駆け巡る。
そんなこと不可能だとわかっているのに、焦がれて仕方がない。
『この子は?』
生徒達の1人がこちらを向いて言った。幸村先輩は私にも分かるようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
でも、その声は彼らには聞こえていて、私には聞こえない。
『ここに入院してる子だよ。立海の生徒で、2年生なんだって。偶然知り合って、よく話すんだ』
『へぇ!』
興味津々と言った彼らはこちらに何かを話しかけているものの、やはり速すぎて理解できない。困った私に気付いた幸村先輩が優しくフォローしてくれた。
『彼女は耳が聞こえないんだ。だからゆっくり話してあげて』
先輩の話を聞いてからは彼らはゆっくりと話してくれて、こちらも話している内容を理解することができた。全員が自己紹介を終えて、少し一緒に話したあと、彼らは手を振りながらも帰っていった。
『ごめんね、騒がしい奴らで』
『いいえ。すごく楽しかったですよ』
『それならいいんだけど』
こんなに大勢の人と一気に話すのは久しぶりだった。楽しかったのも事実だ。
『そういえば最近、お見舞いに来る人が多くなったって言ってましたね』
ふと、前に先輩が言っていたことを思い出した。すると、幸村先輩は思わぬことをさらりと告げてみせる。
『うん。手術が決まったからね』
え、と、自分の口から声が漏れ出た。思わず幸村先輩を凝視してしまう。
幸村先輩は「言ってなくてごめんね」と続けた。
『実はつい最近決まったんだ』
『そう、なんですか……』
『うん』
『……いつ、手術を?』
自分が手術を受けるわけでもないのに、なぜか怖くなってしまって、おそるおそる問うた。幸村先輩は強い意志が込もった瞳をこちらに返す。
『関東大会決勝当日。部員達が手術に間に合うかは分からないんだって』
そうか。他のテニス部員達が関東大会決勝戦で戦う日、幸村先輩は同時に違う戦いをするんだ。
『怖くありませんか?』
『そりゃあ、怖くないと言ったら嘘になるよ。でも、それ以上に俺は部活に戻りたいし、そのための手術だから』
そう言う幸村先輩はすごく強く見えて、でもどこか不安げに見えた。
だからなのかもしれない。
気付いたときには私の手は彼の手に重なっていて、ぐっと力を込めていた。
『さん?』
驚いた瞳がこちらを捉えて、私はそれをじっと見つめた。
どうか伝わりますように、と。
『私、何もできないけど、でも祈ってます。手術が成功することを』
『……』
『きっと他のみんなだって同じです。先輩のチームメイトも、クラスメイトも』
1人なんかじゃない。
『だから、その、何が言いたいかと言うとですね……』
だがふと我に帰って、自分が無意識的に触れていた幸村先輩の手に気付く。その反動で思わず口ごもってしまったが、その続きを促すように先輩がこちらの手を優しく握り返してきた。
そのことにびっくりしつつも、私はそれに励まされて続ける。
『先輩は1人じゃないってことです。ずっとみんなの思いがあなたのそばに在りますから』
だから不安にならないで
幸村くんVS手塚くん、めちゃくちゃよかったですね。
(2020.10.13)
(2020.10.13)