ドリーム小説

溢れてくるもの、それは

12

「ひさしぶり、さん」

 幸村がそう言葉にすると、はぱちくりと瞬きを繰り返した。互いの顔を見るのは1ヶ月以上ぶりだ。お互いに数秒見つめ合い、はっと我に帰るのが早かったのはであった。その瞬間、彼女はばっと音が着く勢いで顔を俯かせてしまう。

さん?」

 幸村はそんなの反応にひどく焦った。
 看護士からははすでに音を聞き取れるようになっていると教えてもらっていた。それでもまだ慣れていないから、できるだけゆっくり話しかけてあげてほしいとも。だから幸村は出来る限り速度を落として言葉を口にした。だがはそんな幸村の言葉に、何か反応を返す様子はない。ただ静かに俯いたままである。
 もしやまだ音が聞こえないのだろうか。いや、それは有り得ない。看護士たちから教えてもらったじゃないか。
 それとも自分の声が速く、聞き取りにくかったのだろうか。はたまた、返事をする余裕がないほど体調が優れないのだろうか。
 幸村はそれを尋ねるために、そっと床に膝をついて、俯いてしまったを覗き込んだ。

「具合悪い? 大丈夫?」

 はふるふるとかぶりを振った。それは否、だった。その否定の反応によって、彼女がしっかりと自分の声を聞き取れていることを確認した幸村は、彼女に気付かれないようにほっと息をはいた。安心したように胸をなでおろすと、次にやるべきことを思い出す。
 幸村は椅子に座り、手に持っていたバッグを漁ると、そこに丁寧にしまっていたあるものを取り出して、それをに差し出した。

さん。これ、預かっていたしおり」
「…………」
「大事に家で保管していたから傷ついてないと思うけど……」

 幸村の手からしおりを受け取った彼女はそれをじっと凝視する。暫くの間沈黙が続いたため、幸村は一瞬しおりが傷付いていたかと冷や汗をかいたが、はやがてこちらに笑いかけた。その笑顔でしおりに異常はないと察した幸村は、しかし再びの彼女の笑顔にどきりと胸の内を掻き回されつつ、優しく笑顔を返した。当然、それがの心中をぐちゃぐちゃにしているとも知らずに。

「大丈夫そう?」

 こくこく。は何度も頷く。

「それじゃあ首が取れちゃうよ」

 まるで壊れたロボットのように頷き続けていたの頭を幸村はそっと撫でる。するとは大人しくその動きを止めた。
 動きを止めたは今度は幸村をじっと見つめる。幸村も少し狼狽えながらも、しっかりと彼女の瞳を見つめ返した。
 交錯した視線が交じりあい、不思議な感覚が2人を包んだ。それは確かに今まで感じたことのない感覚ではあったが、決して2人にとって不快なものではなかった。まるで自分たちだけの何かを共有しあっているような、そんな感覚。
 簡単に言って、特別な感覚がしたのだ。
 できればその特別な時間に浸っていたかったが、幸村にはまだやるべきことがある。
 話すどころか手話すらもしようとしないを疑問に思いつつ、幸村はずっと気になっていたことを彼女に問いかけた。
 正直、このことがあった影響で幸村は1ヶ月以上まともに寝付くことができなかった。睡眠をしっかり取らなければ、日々の厳しい練習は耐えることができないがために無理にでも眠りについてはいた。しかし普段ならベッドに入って数分も経たないうちに眠りにつけるはずが、ここ1ヶ月は1時間以上は意識のあるまま寝返りを繰り返していたのだ。
 これは寝つきがいい幸村にとっては異常事態であった。
 幸村がから受け取った言葉は、彼を振り回すには十分の威力を発揮していた。彼女はそんなつもりはないのだろうが、に想いを寄せている幸村にとってはそのくらい恐ろしいものだったのだ。

さん。あのメモで言っていたこと、覚えてる?」
「…………」

 先ほどとは違い、彼女はこくりと一度だけ、しかし確かに頷いた。
 1ヶ月前、彼女は幸村に「お願い事がある」というメモを手渡した。しかしそこにその「お願い事」は記載されておらず、それ故に幸村はそのお願いが気になって気になって仕方がなかったのだ。

「教えてくれる?」

 幸村が尋ねると、はベッドの脇にある棚を開けて、そこに保管していた紙を取り出す。どうやら彼女の「お願い事」はすでにあの紙に書かれているようだ。あのときのメモのように幾度にも折りたたまれた紙をは丁寧に開いていく。幸村はその様子をどきどきとしながら見つめていた。

「えっ!?」

 紙を完全に開ききるとはちらりと幸村を窺うように見たあと、それを幸村の胸元にぐっと押し付けた。それはあまりにも突然のことで、いくら神の子といえど予想すらしていなかった。咄嗟にそれを受け取ったものの、見ていいのかが分からない。
 幸村にその紙を押し付けた本人はというと、再び顔を俯けてしまっている。何も言おうとしない彼女に幸村は困り果ててしまい、どうしたものかと首をかしげる。しかしこのままでは何も進まないし、始まらない。
 だから幸村は再び顔を下に向けた彼女にそっと問うた。

「見てもいい?」

 こくり。のその反応を受けて、幸村は押し付けられた紙をそっと覗いた。
 一体に何が書かれているのだろう。幸村はそんなことを思った。
 そう思うのも、仕方がないことだと思う。だってが誰かに何かを強請る姿なんて想像もつかないのだ。正直、見当もつかない。
 自分が彼女に何かしてあげられるのかすら分からないし、彼女の期待に幸村が応えられるのかも分からなかった。
 だからこそ、幸村はその言葉を見て目を丸くしたのだ。

『幸村先輩に名前を呼んでもらいたいです』

 年下の少女の、ささやかな願いに。
 幸村は知らず、笑みをこぼした。


溢れてくるもの、それは

ずっと彼女が焦がれ続けていたものは変わりません。
(2020.11.28)
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