ドリーム小説

その音に焦がれる

10

 閉ざされていた瞼を、ゆっくりと持ち上げた。目に入ったのは見慣れた病室の汚れ一つない白い天井。
 はぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「…………」

 見回せばいつもと変わらない病室だ。しかし、何かが違っていた。
 いつもよりもささやかながら情報量が多いような気がする。
 何が違うのだろうか。そう思いながら、は横たえていた体を起こすために、上半身を上げた。麻酔がまだ効いているのか、体を動かすのが少々だるいが、手をベッドに押し付けて無理やり動かす。
 ギシと、ベッドが軋む音。しかしにはそれが一瞬何か分からなかった。首を傾げて、体をゆらゆらと動かしてみる。すると、再びギシとベッドが音を立てた。

(なんだろ、これ……)

 いつもは感じない変な感覚だ。
 何かが違うとはわかる。でも何が違うのかが分からない。

(あ……)

 首をかしげるの頰を、優しい風がなぞった。それに誘われるように窓に目を向けると、窓は開いていて、そこから風が来ているようだった。
 窓からは赤く染まった空が見えて、どうやらもう夕方になっていることをは悟った。
 手術は昼が過ぎて、すぐに行われたはずだ。つまりもう5時間ほどは経っているということだ。はぼーっと空を見つめて、黒い鳥が忙しなく空を飛んでいくのを見送っていた。カラスはカァーカァーと騒がしく鳴いている。それは普通に過ごしている人々にとっては当たり前のことで、しかしにとっては慣れないものだった。
 そして、そこではようやく気付いたのだ。

(音が、聞こえている)

 がすぐにそのことに気付けなかったのは、生まれて初めて音という概念に出会ったからだ。今まで知らなかったからこそ、それを受け取った脳が音と気付くのに時間がかかり遅れたのだ。
 耳にそっと触れる。その際に擦れ合った服の音も聞こえた。

(すごい……)

 音が聞こえるという初めての体験に、は心を躍らせた。
 手を軽く擦り合わせてみるだけで音が聞こえるのか。
 一度パンと手を叩く。体にかかっている布団をまくる。棚に置いてあった本のページをめくる。
 は思いつくだけのことをして、音という知らない存在を作り出していった。

(これが、音)

 他の人たちが当然のように享受していて、には許されたなかった音。
 の世界には生まれたときから存在し得なかったもの。
 ずっと欲しくて、でもとうの昔に諦めてしまった存在。

(ずっと、ずっと、聞いてみたかった)

 諦めてしまって、でも幸村に出会ってから、また欲しいと求めた存在。

(これが、音なんだ)

 気付けば、布団が僅かに濡れていた。ぽたぽたと瞳から涙が流れ落ちてくる。止めようとしても、止まらなかった。

「っ……、ぁ、っ……、」

 ずっと欲しかった。
 ずっとずっと、焦がれていた。
 あぁ、でも。
 今、一番欲しいのは。一番聴きたい音は。

(幸村先輩……)

 彼の音以外、有り得ない。


その音に焦がれる

めっちゃ短くてすみません。音が聴こえない女の子を主人公として書くが故に、第三者視点で書くことが多かったのですが(女の子視点だと音を文で表現できないので)、これからは第三者視点でなくても音を表現できるようになって、少し書くのが楽になりそうです。
(2020.11.15)
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