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閉ざされていた瞼を、ゆっくりと持ち上げた。目に入ったのは見慣れた病室の汚れ一つない白い天井。はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「…………」
見回せばいつもと変わらない病室だ。しかし、何かが違っていた。
いつもよりもささやかながら情報量が多いような気がする。
何が違うのだろうか。そう思いながら、は横たえていた体を起こすために、上半身を上げた。麻酔がまだ効いているのか、体を動かすのが少々だるいが、手をベッドに押し付けて無理やり動かす。
ギシと、ベッドが軋む音。しかしにはそれが一瞬何か分からなかった。首を傾げて、体をゆらゆらと動かしてみる。すると、再びギシとベッドが音を立てた。
(なんだろ、これ……)
いつもは感じない変な感覚だ。
何かが違うとはわかる。でも何が違うのかが分からない。
(あ……)
首をかしげるの頰を、優しい風がなぞった。それに誘われるように窓に目を向けると、窓は開いていて、そこから風が来ているようだった。
窓からは赤く染まった空が見えて、どうやらもう夕方になっていることをは悟った。
手術は昼が過ぎて、すぐに行われたはずだ。つまりもう5時間ほどは経っているということだ。はぼーっと空を見つめて、黒い鳥が忙しなく空を飛んでいくのを見送っていた。カラスはカァーカァーと騒がしく鳴いている。それは普通に過ごしている人々にとっては当たり前のことで、しかしにとっては慣れないものだった。
そして、そこではようやく気付いたのだ。
(音が、聞こえている)
がすぐにそのことに気付けなかったのは、生まれて初めて音という概念に出会ったからだ。今まで知らなかったからこそ、それを受け取った脳が音と気付くのに時間がかかり遅れたのだ。
耳にそっと触れる。その際に擦れ合った服の音も聞こえた。
(すごい……)
音が聞こえるという初めての体験に、は心を躍らせた。
手を軽く擦り合わせてみるだけで音が聞こえるのか。
一度パンと手を叩く。体にかかっている布団をまくる。棚に置いてあった本のページをめくる。
は思いつくだけのことをして、音という知らない存在を作り出していった。
(これが、音)
他の人たちが当然のように享受していて、には許されたなかった音。
の世界には生まれたときから存在し得なかったもの。
ずっと欲しくて、でもとうの昔に諦めてしまった存在。
(ずっと、ずっと、聞いてみたかった)
諦めてしまって、でも幸村に出会ってから、また欲しいと求めた存在。
(これが、音なんだ)
気付けば、布団が僅かに濡れていた。ぽたぽたと瞳から涙が流れ落ちてくる。止めようとしても、止まらなかった。
「っ……、ぁ、っ……、」
ずっと欲しかった。
ずっとずっと、焦がれていた。
あぁ、でも。
今、一番欲しいのは。一番聴きたい音は。
(幸村先輩……)
彼の音以外、有り得ない。
その音に焦がれる
めっちゃ短くてすみません。音が聴こえない女の子を主人公として書くが故に、第三者視点で書くことが多かったのですが(女の子視点だと音を文で表現できないので)、これからは第三者視点でなくても音を表現できるようになって、少し書くのが楽になりそうです。
(2020.11.15)
(2020.11.15)