ドリーム小説


ランタンに灯す

 ハロウィンパーティーに参加した。大学で所属しているサークルで行われた、かなり盛大なパーティーだ。
 正直面倒ごとは嫌いだし、モデル、つまりは芸能人という立場である自分がそういう場所に行くと、大抵何かある。だから最初は断ろうと思ったのだが、たまにはそういう大学生らしいこともして来なさいと所属事務所のマネージャーに言われ、参加する羽目になった。因みにマネージャーはそのあと、「スキャンダルは駄目よ」と釘を刺して来た。俺にパーティーを楽しんでほしいのか、ほしくないのか、どっちなんだ。
 まぁ、俺も週刊誌に撮られるのはごめんだし、出来るだけ女子とではなく男子といようと心に決めて、パーティー当日。

「ちょ、先輩、しっかりしてくださいよ~」

 パーティーといってもただの飲み会と同じようなもので、普段使っている居酒屋よりはちょっとお洒落な居酒屋で行われた。
 そこで何時間も騒ぎ立てたサークルメンバーたちは次々と床にその体を沈めていく。俺と仲のいい先輩も潰れ、その面倒を見ることになった。肩を揺するものの、ぐったりとした彼は起きる気配がない。思わず大きくため息をついた。

「この人、いつもは全然酔わないじゃないっスか~」
「あぁ、そいつ、つい最近彼女にフラれたらしいぜ」
「え、あんなにラブラブだって言ってたのに?」

 この先輩にはとても仲のいい彼女がいると聞いていた。同じサークルなのだが、俺はそこまで関わったことないし、あまりよく分からない。
 それにしても、あんなにラブラブだったカップルが別れるとは。

「何かあったんスか?」
「それがさぁ」

 他の男の先輩が「気になる?」という顔をして、にやにやと笑った。肩を掴まれ、周囲の人間に聞こえないように話し始めた。

「こいつ、浮気したらしいんだよ」
「はあ?」
「しかも結構長い期間騙してたらしくて、彼女、……あぁ、今はもう元カノか。その子に頰引っ叩かれたみたい」
「そりゃあ、叩かれて当然でしょう」
「だよな~」

 ということはこの潰れた先輩は自分のせいでフラれたくせに、自分勝手にも傷ついているというのか。
 その事実に、今まで親しくしていたこの先輩に嫌悪感が湧き出てくる。その嫌悪が表情に出ていたらしく、その事実を俺に教えてくれた先輩が肩を叩いた。

「まあ、俺こいつと高校同じなんだけどさ、こいつ女癖悪ぃのよ」
「最低っスね」
「はっきり言うな~」

 ま、そう言われて当然のことしてるけどな、こいつは。
 そう言い捨てて、先輩は違う席へと移っていった。残された俺は潰れた先輩を無視することに決めて、まだ残っていた自分の酒を煽った。


     ***



 結局あのあと潰れた先輩は起きなかった。そこで問題が一つ。この先輩をどうやって帰すかだった。
 途中まで一緒に飲んでいた俺が声をかけられたが、そんなのごめんだと断った。そして次に白羽の矢が立ったのは、先輩の彼女、ではなく元カノ。

「いや、私は……」

 そこで初めてその人をまじまじと見た。遊ぶことが苦手そうな、いかにも真面目という清楚な女性だった。確か俺より一つ年上。
 恐らく周囲の友人たちはまだ2人が別れたことを知らないのだろう。断ろうとしているその人を無視して、勝手に話を進めようとしている。「じゃあそいつよろしくね」と男を任せられて、その人は今にも泣きそうな顔になった。当然だろう。もう別れて、しかも男のせいで別れたというのに、何故元カレの面倒を見なければならないのか。
 しかしそんな彼女の表情を気にすることなく、他のサークルメンバーは二次会のために場所を移動しようとしている。

「黄瀬~、行くぞ~」

 俺も珍しく二次会に参加すると事前に頷いていた。でも俺の足がそこから動くことはない。怪訝に思った友人が声をかけてくるが、よく聞こえなかった。

「おい、黄瀬!」
「え、なに」
「二次会行くっつてるだろ」
「あ、あぁ、そうっスね……」

 曖昧に頷き、潰れた男とその元カノに後ろ髪を引かれながらも、俺は二次会の居酒屋へと向かうことになった。
 しかし。

「黄瀬、飲まねぇの」
「え、あぁ……」

 1番最初に注いでもらってから、一向に減る気配がない酒。それに気付いた友人が訪ねてきたものの、どこか上の空だった。
 やはりその原因は先程のこと。大の大人の男を、たった1人で支えていた女性。
 その泣きそうな顔を思い出して、俺は立ち上がってしまった。

「黄瀬?」
「ごめんっ、俺もう帰るっス!」
「はっ!?」
「これで足りると思うから!」

 そう言って財布から多めの札を取り出して、俺は急いで外に出た。確かあの先輩の家はこの近くだったはず。ならばタクシーを使わずに歩いて帰っている可能性が高い。
 記憶の片隅にあった、何度か行った先輩の家を目指して小走りに向かう。
 その途中、入り組む路地裏がいくつもある道路に差し掛かったとき。
 涙に濡れた、微かな声が聞こえた気がして立ち止まった。

「……ゃ、……て、……めてっ」
「!!」

 それはつい先程聞いた女性の声だ。俺はその声が漏れてきた路地裏に走る。
 そこで見たのは、女性を地面に押し倒し、その体に手を這わす男の姿。
 瞬間、頭に血がのぼる気配。

「おい! 何やってんだっ!!」

 声を荒げて、男の腕を引っ張り女性から引き離す。倒れ込んでいる女性を庇うよう前に出て、男からの視線を隠した。

「黄瀬? お前こそ、こんなところで何やってるんだよ」
「あんたたちを探しに来たんだよ。体格の違う男を運ぶのは大変だと思ったから」
「ああ、でも平気平気。もう歩けるし」
「そんなことより答えろよ。この人に何してたんだ」

 へらりと笑う男に目を釣り上げる。

「何って、そんなこと分かるだろ。男なら」
「この人は嫌がってた。それに外で押し倒すなんて有り得ない」
「いや、俺とこいつ付き合ってるから問題ないって」
「付き合っていたとしても、嫌がる相手を押し倒すのはおかしいだろ。それにあんたたちは別れたって聞いた」
「チッ」

 不機嫌な様子を隠すことなく舌打ちをした男はこちらを睨み上げる。だがこちらだって引くわけにはいかない。
 背後から女性が泣き声が聞こえて、眉を顰める。泣かしておいて、何が付き合ってるだ。ふざけるな。

「お前には関係ないだろ」
「関係はなくても、見逃せない」
「は、正義のヒーローのつもりかよ。芸能人様よぉ」

 苛ついたその声がしたときには男は拳を振り上げていた。避けようとして、真後ろに女性がいることを思い出す。ここは退くわけにはいかなかった。
 がっと音が響く。唇が切れた。

「な、」
「っ」

 まさか本当に当てる気はなかったのか、男はたじろいだ。その男を睨み上げ、俺は喉の奥から唸った。

「とっとと消えろよ」
「っ」
「警察、呼ばれてもいいんスか?」
「っ!!」

 にっこりと。今まで忘れていた、俺独特の喋り方が戻ってきた。もちろん、わざとではあるが。その男はばたばたと走り去っていった。
 ふぅと息を大きく吐いて、後ろを振り返る。女性は涙目でこちらを見上げていた。

「えっと、……大丈夫っスか?」
「……」

 こくり。声は出ない。

「怪我はないっスか?」

 こくり。

「どこか痛いところはないっスか?」

 こくり。

「えっと……」

 何も言ってくれない女性に、困ってしまう。後頭部をかいて、そこで女性の服がまだ肌蹴たままなことに気付く。俺は慌てて自分のジャケットを脱いで、華奢な肩にかけた。

「立てるっスか?」

 女性はまたこくりと頷いて、地面に手をついて立ち上がろうとした。しかし途中まで立ち上がったところで、がくんと何かの衝撃があったかのように崩れ落ちた。

「立てないっスか?」
「……」

 こくりと頷いた彼女は俯いてしまう。このままここにいるのもマズイと、俺は手を差し出した。それを不思議そうに見上げた女性に、出来るだけ怯えないように笑いかける。こんなときだが、自分がモデルをやっていて良かったと心底思う。笑うことは得意中の得意なのだ。

「掴まってくださいっス」
「……」

 女性は小さな手をこちらに伸ばして、一度躊躇うように動きを止めたものの、すぐに俺の手にのせた。その手をぎゅっと掴むと、俺は女性を立ち上がらせる。少しふらついたが、女性はしっかりと立ち上がり、俺は手を離した。

「タクシー呼ぶっスから、ちょっと待っててくださいね」

 こくり。やはり女性は声を出さない。だが先程までガタイのいい男に押し倒され、その体をまさぐられていたのだ。それも当然だろう。
 俺はそう判断して、スマホを取り出してタクシー会社に電話をかけた。すぐに着くという旨を女性にも伝え、タクシーに伝えた分かりやすい目印になるような近くの公園に向かう。マネージャーに女性と2人きりにはなるなと言われているし、もちろんそれは頭に残ってはいるが、このままこの人を1人にすることはできなかった。

「……」
「……」
「……えっと、」

 タクシーを待っている間、沈黙が続く。周囲は明日に控えているハロウィンのための装飾がされていて、ランタン風の飾りがちかちかと明るく光っていた。それを横目に、俺は沈黙に耐えきれなくなったのか、それともちかちか光る慣れないあかりに耐えきれなくなったのか。どちらかは分からないが、俺は何も話すことがないのに口を開いた。こちらを見上げた女性が不思議そうに首を傾げ、こちらの言葉を待っている。まさか何も話題を思いついていませんなんて言えなくて、俺は考えなしに話し始めた。

「今日はいい天気っスよね!」
「……」
「あ、でももう今日も終わりか!」
「……」
「明日はハロウィンっスね!」
「……」
「最近は仮装とか盛り上がってるし楽しみっスよね!」
「……」
「俺もちょっとしたイベントに出る予定なんスよ!」

 目の前の人の表情も確認せずに、ただただ話を続ける。何を言えばいいか分からないが故に、めちゃくちゃなことを口走っている気がするが、どうしようもなかった。
 ぺらぺらと話し続けて、そしてそれが途切れたのは、女性の漏れ出たような笑いが耳に届いたからだ。見ると女性は口元を両手で覆いながら、くすくすと笑っている。数秒の間笑い続けていたが、その人は俺にじっと見られていることに気付くとその笑いを収めた。

「ふふ、ごめんね。笑っちゃって」
「あ、いや、」
「私のために沢山話してくれたんだよね」

 女性は俺に対して丁寧に、深く深く頭を下げた。その顔を上げると、彼女はまた笑った。それは先程の笑いに耐えきれずに漏れ出たそれではなく、とても穏やかな笑顔で。
 そう。きっと、こういう笑顔が、花が咲くような笑顔というのだろう。

「ありがとう、黄瀬くん」

 初めてその人に名前を呼ばれて、胸がきゅうと締め付けられた。
 これは知っている。感覚で知っているのではなく、知識として知っているだけだが。
 胸が締め付けられるこの感覚。それは恋というのだと、中学時代にバスケ部のマネージャーを勤めていた、今は幼馴染と付き合っている女性が言っていたことを思い出す。
 恋。この、俺が。恋。
 心の中でそれを噛み締めて、でもすぐに飲み込んで納得した。納得するしかなかった。
 だってどきどきしているのだ。これが恋というのなら、きっとそうなのだろう。

「黄瀬くん?」
「あ、えっと……」
「?」
「名前、聞いてもいいっスか?」
「え? あ、助けてもらったのに名乗らなくてごめんなさい。私はと言います」
「俺は黄瀬涼太っス」
「知ってるよ、有名人だもの」

 さんは穏やかに笑っている。それだけ見ると、男に襲われて傷付けられたようには見えない。でも、確かにこの人はさっき心に傷を負ったのだ。
 でも、俺は悪い男だから。
 なんだって利用してやる。
 元カレに傷付けられたというのなら、その傷付いた心に入り込んで、それを癒してあげて、そのままこの人を手に入れよう。
 俺は女の子に優しくすることは得意だから。それを生かして、この人を落とす。
 弱みに付け込んだようで、ちょっと申し訳なくなるが、でも俺がこの人を笑わせてあげればいいだけだから問題ない。
 そうこうしているうちに、タクシーが目の前にやってきた。そのドアが開く。

「あ、この上着……」
「そのまま着ていってください。同じサークルだし、返す機会もあると思うっスから」

 嘘だ。本当は、また話す口実が欲しいだけ。
 でもそんな俺の下心を知らないさんはタクシーに入り込む直前に、俺に再びその笑顔を向けた。

「今日は本当にありがとう、黄瀬くん。気をつけて帰ってね」
さんも、お気をつけて」
「ばいばい」

 控えめに手を振ったあと、さんはタクシーに乗り込み、この場を去っていく。俺はそのタクシーが見えなくなるまで手を振っていた。

「あぁ、やべぇ」

 にやけてしまう口元を咄嗟に手の甲で隠す。それでもこの想いは止められない。
 これが俺の恋心が灯った日。



⬆︎よろしければ拍手お願いします。創作の力になります。