「トリック・オア・トリート!」
「トリック・オア・トリート!」ハロウィンを翌日に控えた金曜日の朝。下駄箱で靴を外履きから内履きに取り替えているところだった。
ハロウィンにおけるお馴染みの言葉を俺に向けて放ったのは、俺の幼馴染であるだった。その瞳は悪戯っぽく細められており、彼女が俺からのお菓子を期待しているわけではないということは端から明らかだった。
俺はそれに小さくため息をつきつつ、スクールバッグから用に用意していたお菓子を取り出して彼女に差し出した。差し出された当の本人はぽかんとなんとも間抜けな表情をしたあと、ぷくーっと?を膨らませた。それはが幼い頃からよく俺に見せる、拗ねたことを表した行動であった。
「なんで持ってるの!?」
「がくれと言ったんじゃないか」
「私は精市に悪戯がしたかったの!」
自分でお菓子を要求しておいて、なんとも自分勝手な言い分である。しかしそんなのちょっとした我儘はもう慣れたものなのでそこまで気にすることはない。
「ほら、お菓子いらないの?」
「うー」
「いらないなら、他の子にあげようかな」
「えっ!? い、いるっ、いるってば!!」
「おっと」
俺がからかい混じりにお菓子が乗ったままだった手を引っ込めようとすると、は慌てて俺のその手を捕まえて、中にあるお菓子をひったくった。お菓子を受け取った手を胸元にぎゅうと押し当てて、誰にも取られないようにしている仕草が、警戒心の強い猫のようで笑ってしまう。
「なら最初から素直に欲しいって言えばいいのに」
「それとこれとは別!」
「へぇ、別なんだ?」
「別なの!」
ぷんすかという漫画のような擬音が聞こえてきそうな雰囲気で怒ってみせるだが、全く迫力がないため笑ってしまう。そんな俺の態度が余計に癪に障ったようで、はきっと瞳を吊り上げてこちらを睨んだ。まるで猫みたいだと思ったが、これを言うとさらに怒らせてしまいそうなので口を噤む。
「精市は意地が悪いよ」
「そう?」
「昔から変わらないよね、そういうところ」
「んー、自覚はないんだけど」
「あったら、余計質が悪い」
「はは、手厳しいな」
は俺から受け取ったお菓子をバッグの中に入れ、自分も内履きに履き替える。
その姿をじっと見つめ、ふと悪戯に思いついたことを口にした。
「」
「ん、なに?」
内履きのかかとの部分を整え、仕上げにとんとんとつま先で床を叩く。は綺麗に靴が履けたことを確認すると、こちらを見上げた。
「トリック・オア・トリート」
先程己が口にした言葉を投げかけられ、は再び何とも間抜けな顔をして、俺の顔を凝視している。そこから視線を徐々に下げていき、俺が差し出した手を見つめた。数秒間、彼女の動きが停止する。
「トリック・オア・トリート」
念押しとしてもう一度その言葉を口にすると、はやっと動きを再開させ、ばっと勢いよくこちらを見上げた。
「なんで!?」
「だって同じことをしたじゃないか」
「そんな~」
「ほら、お菓子くれるの? くれないの?」
「うっ」
は口ごもると、スクールバッグを漁り始めた。そこまで深くないスクールバッグの奥の奥までがさごそと漁ったものの、どうやらお菓子は見つからなかったようで、大きなため息を漏らしてから、観念したようにこちらを見上げる。
「ない、です」
「ないの?」
「うん」
先程は警戒心丸出しの人慣れしていない猫のようだったが、今度はしょんぼりと項垂れてしまった猫のようだ。きっと猫の耳があったらペッタリと頭にくっついているところだろう。
「じゃあ、悪戯かな」
「悪戯……」
項垂れているを尻目に、俺はさてどうしようかと思考を巡らせる。
ここでお決まり通り、彼女に悪戯をしてやってもいい。しかしそれだと1パターンだし、何よりもっとこのチャンスを利用できるのではと思ってしまった。
何のチャンス、とは言わないが。
俺が考え込んでいると、の小さなぼやきが耳に入ってくる。
「もとから精市は私に対してだけ意地悪なのに、」
その自覚は正直、ある。
比較的周囲の男子たちと比べて大人びている俺は、他人曰くとてもよくモテる。それは自分でも認識しているし、そういう目で女子たちに見られることもとっくに慣れてしまった。そんな女子たちに俺は波風立てないようにそれなりに優しく接しているし、それによってさらに俺の評判が女子からいいことも知っている。
だが、唯一だけには同じように優しくできない。
それが何故なのか、答えは明確だった。
単純に、俺が彼女のことを好きだから。
普段女子たちから優しい優しいと言われている俺が、まるでガキのように好きな子に意地悪く接しているのだ。正直、周りの男子のことを言えないと思う。
しかしそうは分かっていても長年そう接してきてしまったがために、簡単には改善できそうにない。
器用だと思っていた自分が、ここまで不器用だったことを恨むもののどうしようもないことだった。
「じゃあ、ここは幼馴染に免じて悪戯はやめようかな」
「ほんと!?」
「うん。でもその代わりにさ、」
「?」
「明日、俺に付き合って?」
を覗き込むように屈んでみると、予想以上に2人の距離が縮まった。
「明日?」
「そう、明日はハロウィンだろ?」
「うん、そうだけど……」
それと何が関係あるのかと言いたそうな表情を間近で見つめつつ、俺は続ける。
「ちょうど妹からあるカフェのハロウィンチケットをもらってさ。明日だけにしか使えないみたいなんだけど、1人で行くのも気が引けるし、一緒に行く人を探してたんだ」
嘘だ。確かに妹からチケットをもらったことは本当であるが、それは俺が妹に頼んでもらったもの。あわよくばを誘って行きたいと考えていたものだった。
結局素直に誘うことはできず、こんな誘い方になってしまっているが、使われない可能性もあったチケットだったのだから、少し見逃してほしい。
「別にそれくらいならいいけど、私でいいの?」
「ん?」
「だって私だよ? 精市なら誘えばもっと可愛い子も来てくれると思うよ」
本当には何も分かっていない。俺が誘って、一緒にどこかに行きたい人はだけだ。それを彼女は知らない。知ろうともしないし、考えもしないことなのだろう。
その原因はどう考えても、俺にある。
「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ」
「んー、分かった。行くよ、それ」
は頷いたものの、それでもやはり納得がいかないのかウンウンと唸っている。「私なんかよりも……」といまだに聞こえるので、改めて自分の今までの行いを恨んだ。
どうして自分はいつもこうなのか。
「もっと素直になるべきだぞ」とは、部活の参謀の言葉である。素直になれるのなら、とっくのとうにそうしているというのに。
自分自身に大きくため息をつきつつ、それでも心は明日好きな子と一緒に出かけることができるという事実に浮き足立ち始めていた。
反対には「お菓子美味しそうだなー」と笑い、もうすでに先程のことは頭から抜け落ちたようだ。そんなと共に3年のフロアに移動する。
「じゃあ、詳しいことはまたあとで伝えるよ」
「うん、了解」
下駄箱から歩いてくると、俺よりもの教室が先に見えてくる。は頷いて、少し躊躇ったあと、早口でその言葉を口にした。
「楽しみにしてる」
え、と俺が聞き返す間もなくは自分の教室へと飛び込んでいった。
しかし置いていかれた俺はたまったものじゃない。
なんだそれは。反則だろう。
そんな、真っ赤な顔して。まるで照れたような顔をして。
悪戯をしたのは俺だったのに、まるで俺が彼女から悪戯を受けたような気分になった。
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