落っことしたキャンディ
ぽとりと、何かが落ちた気がした。それは私が持っていた物だったのか、瞳に溜まっていた涙だったのか、ぐちゃぐちゃの表情だったのか。はたまた、それらとも違う、別の何かだったのか。
今の私には分からなかった。
***
ハロウィンといえば、いまや日本におけるビックイベントである。
若者は渋谷の有名な交差点に集まり、騒ぎ立てた。それはハロウィンを楽しみたいというよりも、ただ馬鹿騒ぎしたいように見える。そしてそこで調子に持った者たちが警察の御用になっている様子がテレビで放送されることも、近年では最早お馴染みの光景となった。
にとって今までハロウィンというイベントは興味を抱くものではなかった。昔から大人数で騒ぐことは苦手であるし、仮装というものにも無関心、というよりかはどちらかというと嫌悪という感情が先行していたような気がする。
そんながハロウィンというイベントに深く関わるようになったのは、この学院に転入したからである。アイドルの卵たちに囲まれながら、はひたすらにプロデューサーとして走り回っていた。そんなあんずは英智よりドリフェスの運営をよく任されることがあり、今回はハロウィンイベントの運営に着手しているところだった。
ハロウィンというイベントの特色上、当然アイドルたちは仮装することが前提となる。それぞれに似合った衣装が用意され、どこかファンタジーな雰囲気を匂わすその衣装をさらりと着こなしてしまうのだから、流石顔がいいアイドルといったところだ。
そこで一つ問題になったことが、アイドルではなく、裏方としてアイドルを支える側であるもイベント当日仮装することが決定したことである。は当然抗議したのだが、それを聞き入れてもらえることはなかった。
そして現在、ははぁと大きなため息を漏らしながら、ハロウィン当日の衣装合わせをしていた。
「なんで私が……」
まさにこの言葉に尽きる。
どうして、なんで、何故。
運営スタッフである自分が立派な衣装など着て、何になるというのか。
だが既に決まってしまったことであるため、もう仕方がない。もうどうにでもなれという気持ちでは衣装を選んでいるのだ。
今回衣装を担当している手芸部と鬼龍から様々な女性用衣装を渡された。好きなものを選んでいいと言われ、は正直困っていた。
こういうことはあまり頓着しないタイプであるため、自分が着るべき、言ってしまえば似合うであろう服がよく分からないのだ。そもそも仮装に似合うも似合わないもあるのかは分からないが、あまり目立たない服がいいと思っている。
そんなこんなで困りきってしまった彼女に救いの手を差し伸べたのが、羽風薫である。
羽風薫は、当学院で最も過激で背徳的と謳われるユニット、UNDEADに所属する3年生である。UNDEADと言えば、彼らを率いるリーダーが常に自身を吸血鬼と称し、また同時に夜闇の魔王とも呼ばれている。それに倣ってか、他のメンバーも夜闇の魔物を自称していると紹介されるが、実のところそれは案外少なかったりする。
それはともかく、薫はハロウィンは俺たちの本領発揮だねと言ってノリノリだ。まぁ、それが今回のハロウィンイベントは一般公開するので女の子が大勢やってくるという理由であったとしても、やる気を出してくれることはありがたい。
「ちゃんはどんな仮装がいいの?」
薫は神父にすると言っていた。何故神父なのかと問うと、同じユニットのリーダーである朔間零が吸血鬼の仮装をすることを引き合いに出し、同じユニット内に魔物とそれを討伐する側の者がいたら面白いでしょと笑った。
既に自分の仮装を決めてしまって手持ち無沙汰だった薫は楽しそうにの衣装候補を手に取っては彼女にあてがい、どれがいいかなと考えている。
「俺とお揃いでシスターにしない?」
「それだけはお断りします」
「ひどっ」
どこか2人ともふざけた口調で笑い合う。
薫はいまだの衣装を選んでいる。衣装部屋中に置かれた仮装をあっちへ行ったりこっちを行ったりしながら悩んでいると、薫の神父服のポケットから何かが落ちた。
「先輩、何か落ちましたよ」
「え?」
薫はの言葉を聞いて、自分の足元を確認する。しゃがんで、落ちたそれを手に取った。
「キャンディ、ですか?」
薫のポケットからこぼれ落ちたのはキャンディだった。
まだハロウィンではない。ハロウィンにお菓子を持ち歩いているのなら納得だが、何故すでに持っているのだろう。
「奏汰くんがかおるにあげます~、って」
薫と仲のいいよく噴水で水浴びをしている正義のヒーローの真似をしながら薫は答えた。よく一緒にいるからだろうか。特徴を捉えていると思う。
「でも面白いよね、この味」
「何味なんですか?」
「涙味だって」
はて、涙味とは。
「涙?……塩っぱいってことですかね?」
「う~ん、どうなんだろ。ちょっとよく分からない味だよね」
奏汰くんらしいけど、と笑って、先輩はそれをこちらに差し出した。
「ちゃんにあげる」
「え、でも深海先輩から貰ったんでしょう? 悪いですよ」
「大丈夫。俺、2つ貰ったからさ」
そして押し付けられる形で、その涙味なるキャンディを受け取る。羽風先輩を見ると、早速そのキャンディを口に放っていた。少し考えながら味わって、う~んと唸る。
「どうですか?」
「特別塩っぱいというわけでもないと思うな。……何の味だろ、これ」
首を傾げている先輩を横目に、私もキャンディを口に含んだ。やはり涙味なるものは謎な味で、正直何味か分からない。
ただ、何故だか懐かしく感じた。
「何か食べたことあるような味だよね。何の味か聞かれると答えられないけど」
「あ、私もそう思いました」
こちらを覗き込むように言った先輩に頷くが、じっと見つめられてぱちくりと瞳を瞬かせた。
「くま、できてる」
「え」
「寝れてない?」
羽風先輩は人をよく見ている。何気ない仕草だったり、表情だったり。それらをよく見ていて、しかもとても聡い人だから、相手が何かを抱えていることを容易く見抜く。そういう面は同じUNDEADの二枚看板である朔間先輩と似ていて、この2人と一緒に活動している後輩の大神くんと乙狩くんは隠し事ができなくて大変だなと思ったことがある。
でも、それが自分に向かうとなると話は別だ。正直、ひやりと背筋に冷たい汗が流れた気がした。
「ちゃんと休まなきゃダメだよ」
「……大丈夫ですよ」
「大丈夫そうに見えないから言ってるんだけど」
すると羽風先輩は座り込んで、私の腕を優しく引っ張った。マットがひかれた床に膝がつく。
「羽風先輩!」
「少し寝なよ」
羽風先輩は私を引き寄せ、容易く私を横たわらせると、自分の膝に私の頭を乗せた。びっくりして勢いよく起き上がろうとするものの、彼はそれを優しく制す。
「大丈夫。ちゃんと起こすから」
「でも!」
それでも私が言い募ろうとすると、先輩は少し困ったように笑った。本当に困っているのはこちらなのに、そんな表情をされてしまうと何故か言い返せなくなってしまった。
羽風先輩の手が私の目元に優しく置かれて、暗闇が私を誘う。
「大丈夫だから」
その声に、優しい声に、泣きたくなった。
彼は一体、どこまで知っているんだろう。どこまで分かっているんだろう。
どこまで考えていて、私の衣装探しの手伝いを名乗り出たのだろう。
どこまでが彼の計算だったのだろうか。
それは私には分からないけれど、その優しい手に、優しい彼に、全て預けてしまいたくなった。だから、少しずつ体の力を抜いていく。
「今は何も考えなくていいんだよ」
その言葉に従って、私は思考を停止させていく。
その途中で頭を過ぎったのは、なかなか通らない企画案。生徒会のメンバーたちの顔を何度も顰めさせてしまった。そして、それは今回に限ったことではない。何度もドリフェスの企画をしているのに、毎回も毎回も私は躓く。一度だって一発で通ったことがなかった。
それが積み重なっていき、結局は自滅した。でも誰にも言えなくて、心配してくれる綺羅星たちがいたけれど、1番近くで見てくれている彼らだからこそ言えなかった。
そんな私を、羽風先輩は優しく掬い取ってくれる。
少しずつ眠気が誘う。思考が、完全に停止する前。
「おやすみ、ちゃん」
彼の声が聞こえて、その優しすぎる声に、閉じた瞳から何かが落ちた気がした。
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