ドリーム小説

ため息まで白い

赤司くんの誕生日に告白する。
 そう意気込んだものの、どうやって想いを告げればいいのかと悩む日々である。
 やはり妥当なのは誕生日プレゼントを渡すと共に告げるという形だろう。現時点では私もそれを考えている。
 しかし赤司くんに以前、プレゼントは何が欲しいかと問うたところ、穏やかな笑みと共に「がくれるなら何でも嬉しいよ」などという言葉を返されてしまい、さらに悩み事を増やすという事態に陥ってしまったのである。
 そんな赤司くんに戸惑って深く息を吐くと、吐き出されたそれは真っ白に染まっていった。もうこんなに寒いのかと、改めて私は実感したのだった。


 そしてそんな白いため息と共に悩みに悩んで、結局答えを見つけられなかった私が泣きついたのが、昨年まで我が部の頼れる副主将を務め、そして個性の強い面々の潤滑剤としての役割を果たしてくれていた実渕先輩であった。

「実渕せんぱぁい……」
「あらあら、ちゃんがそんなになるなんてよっぽどのことね」

 待ち合わせたカフェの店内で、私は洗いざらい先輩に悩み事を告白した。随分と長話になってしまったが、実渕先輩は黙って頷きながら聞いてくれた。そして全てを話し終えたあと、先ほどの情けない声を私は漏らしたというわけである。

「ちなみに聞くけど、ちゃんは征ちゃんのことが好きなのよね?」

 実渕先輩は店員によってココアにスプーンを入れて、くるくると優雅にそれを回している。
 先輩たちが部にいた頃はたまにみんなでカフェに来たことがあった。葉山先輩や根武屋先輩はカフェのどこがいいのか、マジバのほうがいいなどと言っていたが、赤司くんや実渕先輩が女子である私に気遣ってくれて、カフェに連れてきてくれていたことを知っている。そしてコーヒーを注文する葉山先輩や根武屋先輩と異なり、実渕先輩は可愛らしくココアを注文していたことも変わらない。
 当時の思い出に懐かしくなりつつ、私は神妙に頷いた。

「……はい」

 まだ赤司くんにも明確には伝えていないこの好意を、面倒を見てくれた先輩といえど違う人に打ち明けることに若干の羞恥が沸く。しかしこんなことで恥ずかしがっていたら、告白はおろか、プレゼントを渡すことすらできない。
 そんなの絶対に嫌だ。だからここは恥を捨ててでも、一番頼りになる実渕先輩に助けを求めることが懸命なのだ。

「それは征ちゃんが告白してきたから流れで好きだと思い込んでいるのではなく?」
「え?」

 真剣な声音に思わず顔を上げると、実渕先輩はまるで試合中かのような顔つきでこちらを射抜いていた。
 私たちを沈黙が支配する。その空気に私はごくりと唾を飲み込んだ。
 数十秒間私と先輩は目をお互い逸らすことなく、ただじっと相手を窺うように視線を交差させていた。
 いつまでこの沈黙が続くのだろうと緊張に体を硬直させていると、実渕先輩はくすりと笑ってこの均衡を解いたのだった。

「ごめんなさいね。意地悪しちゃったかしら」
「い、いえ……。あの、私は、」
「分かっているわ」
「え?」

 実渕先輩は開きかけた私の口元に人差し指を添えるとかぶりを振った。まるで何もかも分かっていると言われているようだった。

「大丈夫。ちゃんと分かっているわ。ちゃんがそんないい加減に人を好きなる子じゃないってことくらい」
「先輩……」
「2年間一緒にいたのよ? 可愛い後輩のことなんて、私にはお見通し」

 そう言って先輩は軽くウインクを飛ばしてみせる。私の体に入ってしまった力を抜かせようとする行動に、そして何より実渕先輩のその気遣いに笑みがこぼれた。同時にすっと背筋を伸ばした。

「私、赤司くんのことが好きです。確かに告白されるまでその自覚はありませんでした」

 赤司くん本人が言っていた通り、彼は好意をこちらに感づかせることなど一切しなかった。それはとても徹底されていて、だから告白された当時はとても驚いたのだ。

「でも好きだと言われて、ふと私は思ったんです。私はこの人のことをずっと前から好きだったのかもしれないって」

 2人の間に何か特別な出来事があったわけではない。
 赤司くんが私を好きになった理由は私が彼を普通のクラスメイトとして接したからであって、それはつまり私たちは普通に接し合っていただけということになる。また赤司くんも私を特別扱いすることはなかった。きっとお互い普通の人間として関わることが心地よかったから。
 私自身も赤司くんのことは最も仲のいい男子の友達だと思っていた。そうだからこそ隣にいてこんなにリラックスできるのだと。
 でもきっと違ったのだ。
 私が彼の隣にいて安心できたのは、素の自分でいられたのは、私が赤司くんのことをいつの間にか好きになっていたから。その気持ちに気付かずに過ごしてきて、彼の告白によって一気に自覚させられたのだ。
 だから、私は戸惑った。自分のこの想いに。今まで自分すらも知らなかったこの感情を持て余して、赤司くんに伝えることを躊躇した。赤司くんの優しさに甘えて、待っていてほしいと強請った。その甘えが今日まで続いてしまって、伝える機会を見つけられずにいる。

「でも私は弱くて。だから、彼に甘えました。まだその気持ちに応えるのは待っていてほしいって」
「それは甘えじゃないわ。誰だって自分の気持ちには臆病なものよ」
「いいえ、これは甘えです。……だって、とっくに自覚しているのに、まだ赤司くんに好きだって言えてない。優しくしてくれる赤司くんにずっとずっと甘え続けて、それが心地いいから抜け出したくないと思ってる」

 人は変化することを拒む。進んで危険を冒すくらいなら、安心安全の今を選びたがる。
 それはどうやら私も同じだったようで、情けなくなった。

「私、怖いんです。気持ちが通じ合って、私たちの間にある何かが変わってしまうのが」

 変わるくらいなら、このままでいいと思っている。それが誠実な赤司くんに対する、何よりの裏切りだと知りながら。

「きっとこんな狡い私は、赤司くんに相応しくない」

 自分で言いながら、悲しくなった。カップを持つ手にぽたぽたと雫が落ちる。自分から流れる涙だと理解するまでに時間がかかった。だって、私に泣く資格なんてない。ひどいことをしているのは私の方なのだから。
 そう分かっているのに、何故か涙が止まらない。無理やり止めるために目元を擦ろうとすると、実渕先輩の大きな手が私の手を制した。

「駄目よ、擦っちゃ。跡になるわ」
「先輩……」
「ほら、これ使って?」

 その言葉と共に先輩は綺麗に折りたたまれたハンカチを私に差し出した。それを受け取ることを躊躇っていると、実渕先輩は深く息をついて私の涙にあふれた目元をハンカチで優しく拭った。

ちゃん」
「はい……」

 私の名前を呼んで、先輩は笑いかける。その微笑はいつも私たち部員を穏やかにしてくれて、だからみんなはこの人を頼っていた。そして、それは赤司くんも同様に。
 この人はあの赤司くんが頼る数少ない人。

「自分の気持ちに自信を持ちなさい。恥じることをやめなさい」

 告げた実渕先輩の瞳は凛としていた。それに私は呑み込まれる。

「気持ちを伝えて、何かが変わる? そんなこと当然よ。2人は本当の恋人になるの。今まで通りなんて有り得ないわ」
「……はい」
「征ちゃんに相応しくない? そんなことないわ。私が保証してあげる。あなたは素晴らしい女の子よ。それに征ちゃんがあなたのことを選んだの。あなたがいいと思ったから、あなたじゃないと駄目だと思ったから選んだのよ。そのことを誇りに思いなさい」
「……はい」

 実渕先輩がそっと私の手を取る。ぎゅっと握られたが、赤司くんのときのような感覚には陥らない。そんなところでも私は自分の想いを実感した。

「誰かに愛されているということを誇りに思いなさい」
「……はい」

 誰かに愛されるということは当たり前のようでいて、当たり前ではない。
 誰もが享受できるもののように見えて、そうではない。
 愛とは不確かなものだ。不確かなものを人間は求め続けて、不確かなものだからこそ、与えられたときに言い表すことのできない喜びを感じるのだ。

「何より……」

 私が見つめる瞳に、労わるような色が浮かんだ。

「こんな私、なんて言わないで。それこそ征ちゃんに、そしてあなたの想いに対する裏切りであり、侮辱よ」

 「もう絶対に言わないで」そう念押しした先輩に、私はこくりと頷く。その反応を見て、実渕先輩は穏やかに笑った。

「征ちゃんはちゃんに惚れてるの。そんなあなたから貰えるものならきっと何だって嬉しい。征ちゃんの言葉は嘘じゃないのよ」
「はい」
「あとは自分で考えてみて。これは私に頼るんじゃなくて、あなた自身が決めないと意味がないから」

 きっと、実渕先輩は気付いていたのだ。
 私がどうして赤司くんへのプレゼントを決めかねているのか。どうして先輩を頼ったのか。
 それは私自身に自信がなかったから。赤司くんに引け目を感じていたから。
 先輩はそれを最初から見抜いた上で私の相談に乗ってくれて、そして正しい方向へと導いてくれた。そこから先は自分で考えなさいと、私の背を押して。

「私、ちゃんと向き合って考えてみます」
「えぇ、それがいいわ」
「先輩は優しいですね」
「…………」
「先輩?」

 黙ってしまった実渕先輩に首をかしげる。静かに瞳を伏せた彼は、でもすぐに再びウインクをしてみせた。瞳を伏せた瞬間に感じた違和感と、今までとはどこか違う実渕先輩の雰囲気に驚いたものの、それは気のせいだったのだろうと納得する。

「当然よ。だってあなたと征ちゃんは可愛い後輩なんだから」

 2人が幸せになってくれるのなら、これ以上の幸せはないわ。
 実渕先輩はそう言って、私の手を握っていた大きな手を離した。覆っていた温かさが消える。

「応援しているわ。心から」

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