ドリーム小説
その勇気だけは讃えてやろう

『きみは僕のそばから離れるなよ』

 そう言った征十郎くんの言葉通り、私は挨拶回りをする彼について回っていた。その度に征十郎くんから相手に対して私の紹介がされる。
 「僕の未来の妻です」と爽やかに笑う彼だが、そんな笑顔、私は向けてもらった覚えがない。仕方のないことだと頭では分かっていても、それを受け止めきるには私はまだ幼かった。
 そんな彼に対して、相手方も笑顔で「素敵な女性ですね」とお世辞を述べる。特に相手方が女性の場合は一瞬凄い睨みを利かせて来る人もいて、思わず征十郎くんの横で肩をビクつかせてしまう。そんな私に気付いているのかいないのか。征十郎くんは私の腰を優しく抱き寄せながら、次々と赤司家関係の取引先や関係者に挨拶をしていく。こうやって彼が私に優しく触れてくれるのは、こういうパーティーくらいしかないから、私はこのときを存分に味わっていたいと思う。

「御機嫌よう。赤司様」
「これはこれは、西園寺夫人。お久しぶりです」
「お久しぶり」

 私たちに近づいてきたのは、有名な西園寺グループトップの奥様だ。今日は社長がどうしても外せない用があり、そのため夫人が1人でやってきたという。

さんもお久しぶりね」
「は、はい。お久しぶりです」

 この方とは何度も赤司家のこういった場で顔を合わせており、とても温厚な素敵な方だということをよく知っているため、安心して挨拶ができる。人によっては私の立場が気に食わない人もいて、そのやっかみを受けたことも多々あるのだが、それを庇ってくれたこともある優しいお方だ。

「相変わらずさんは可愛らしいわね。赤司様にぴったりだわ」
「い、いえ、そんな。私なんか……」
「えぇ、私も素敵な女性を妻に迎えることができて嬉しく思っています」
「あら、赤司様。まだ妻ではないでしょう?」
「おっと、失礼。愛しい彼女が褒められていることが嬉しく、つい」

 そう思ってもいないことを平然と言いのけて、征十郎くんは腰を抱いた私の顔を覗き込み微笑を向ける。それが作られたものだと分かっていても、どうしようもなく嬉しくなってしまう私はやはり重症だろう。
 そんな私たちを見て、夫人はくすくすと笑った。

「あら、やだ。見せつけられてしまったわ」
「そんなことありませんよ。西園寺夫人も旦那様と仲がよろしいではありませんか」

 そう。西園寺夫人がその旦那様である社長とラブラブであることは社交界ではかなり有名な話である。そのためこうして夫人1人がパーティーに参加するということも稀なのである。
 結婚してもう長いのに、それでもあんなに仲がいいなんて羨ましい。私と征十郎くんでは絶対に無理な話である。

「お二人もきっと私たちのようになれるわよ」
「ありがとうございます」

 そのあと軽く挨拶をしてから夫人は他のゲストの方に挨拶をしてくると言ってそばを離れていった。
 私たちもほとんどのゲストに挨拶を済ませてしまい、やることはあまり残っていない。それでも赤司家代表として一瞬たりとも気をぬくことは許されない。特に私はまだ周囲から認められていない節もあるため、一瞬の油断は命取りになる。こういった場は敵だらけだと思えと言ったのは、他の誰でもない征十郎くんである。

「せ、征十郎くん」
「なんだ」
「お腹空いてない? 何か取ってこようか?」
「いや、僕はいい」

 勇気を振り絞って話しかけてみたはものの、一瞬で終わってしまった会話に思わず肩を落とす。「そっか」と声がこぼれて、それに気づいた征十郎くんがこちらを見やった。

「何か食べたいのか」
「え、ううん。違うの、そうじゃなくて、」

 そうじゃなくて、ただあなたと話すきっかけが欲しい。
 そんなことは言えるわけもなく、私は口を閉ざした。そんな私に興味もなくなったのか、征十郎くんはまた目をそらしてしまう。

「征十郎くん」
「今度はなんだ」
「あ、の、お手洗いに……」

 言うのが恥ずかしくてだんだんと声が小さくなっていく。征十郎くんは小さくため息をついて、そっと腰から回していた手を外した。
 真紅の瞳が促す。

「早く戻ってこい」
「う、うんっ」

 そばから離れるなと言われているし、私自身も彼のそばを離れるとロクなことがないことを今までの経験からよく知っている。だから少し早歩き気味でお手洗いに向かった。
 その途中すれ違った女性からも嫌な目を向けられたけれど、こういうことを気にしていたら社交界ではやっていけないのだ。
 お手洗いを済まし、急いで征十郎くんのもとに戻る。しかし彼の周りに数人の女性たちがいて、思わずその場で足を止めた。
 こういった場面にはよく遭遇する。征十郎くんに例え昔からの許嫁がいようと、彼女たちは御構い無しなのだ。そんな女性たちに優しく微笑みながら対応している彼を見つめながら、あんな素敵な女性だったら征十郎くんも私の方を向いてくれるのだろうかと考えてしまった。征十郎くんを囲む彼女たちは綺麗なお化粧をしていて、纏っているドレスもそれぞれに似合っている。私だって専属のスタイリストさんにお化粧もスタイリングもしてもらっているが、やはり素材が違いすぎるのだ。どうやったって、私は彼女たちのようにきらきらと輝く女性にはなれない。
 ──征十郎くんも、やっぱりあの人たちみたいな綺麗な人が好きだよね。
 そう思ってしまうと、もう自己嫌悪は止められない。無理してはいているヒールの靴が目に入って、そこでようやく自分が俯いていることに気がついた。

「こんばんは、さん」
「っ!」

 後ろから声をかけられ、びくつきながらも振り返る。そこにいたのは紳士然とした、爽やかな笑顔を浮かべる男性だった。

「こ、こんばんは。花柳さん」

 この男性は、花柳遥という。花柳家は私と同じく昔から呉服屋として有名な家系であるため、家は昔から関わりがある。当然遥さんと私も昔からの知り合いで、何度もパーティーでご一緒したことがある男性だ。
 花柳さんは未だに女性に囲まれている征十郎くんを目で促しながら苦笑した。

「彼、相変わらず人気者だね」
「赤司家の嫡男の方ですから。当然ですよ」
「でも彼にはきみという許嫁がいるというのに、それでも周りには女性ばかりだ」
「……仕方のないことですよ」

 本来であれば許嫁がいる男性に、ああやってあからさまにアプローチすることは少ない。やはり下品であるし、その家の品性が問われてしまうからだ。しかし彼女たちは御構いなくなのか、それともまだ10代であるがためにそこまで考えが回らないのか、何度も征十郎くんを囲んでくる。それは例え私が彼のそばにいたとしても、だ。

「彼もさんという素敵な方がいるのに、ああやって他の女性に優しくするなんて酷い男だ」
「優しい人なんです」

 私が即答すると、花柳さんは顔をしかめた。どこか気に入らないようにため息をついて、こちらに近寄った。

「優しい、ね。さんは本当に彼のことが好きなんだね」
「え?」
「だってそうだろ? 本当に優しいのなら、こんな顔をしているパートナーをほったらかしにはしないよ」
「……」
「そんな彼のことをずっとあなたは庇っている。それほど好きなんだろう?」

 征十郎くんは優しい。自分を囲む女性たちも邪険にせず、丁寧に接する。でも、私はあんなふうに優しくしてもらった覚えはない。

「俺には彼は優しくは見えないね。薄情な男に見えるよ」

 そういった彼に思わず私は口を開いた。

「征十郎くんのことを何も知らないのに、好き勝手に言わないでください。彼は本当に素敵な人で、とても優しい人です」
「……」
「人の本質を見ようとしない、あなたには絶対に分かりません」

 こちらを捉えた花柳さんの目がすっと細まった。どこか怒りを写したようなその瞳に咄嗟に後ずさった。だが彼はこちらにぐっと体を寄せ、その手で私の腕を掴んだ。彼の感情を表すかのように、彼の手には力がこもっている。

さんこそ、恋に目が眩んで彼の本質を見抜けていないんじゃないか?」
「っ、いっ」

 強い力で引っ張られ、腕に痛みが走る。思わず顔をしかめた。それでも花柳さんは腕を離そうとはしなかった。
 私はさらに壁際に追い詰められ、逃げ場がなくなった。迫る大きな体に恐怖を感じて、ぎゅっと目を閉じる。するとすぐに花柳さんのまるで漏れ出たような声が耳に届き、目を開けると花柳さんの腕をぐっと掴んでいる征十郎くんの姿があった。

「その手を離せ」
「っ」
「その手を離せと言っている、聞こえないのか」

 彼の冷たい声音に怯えるように花柳さんはぱっと私から腕を離した。征十郎くんは花柳さんと私の間に割り込むと、まるで庇うかのように私の肩を力強く抱いた。
 征十郎くんは喉奥から唸るような声音で花柳さんを追い詰める。

「僕の許嫁に触れるとは、随分なことだ」

 そんな征十郎くんを睨みつけるように見つめ返した花柳さんは吐き捨てるように言った。

「赤司さんが彼女のそばから離れなければ良かっただけのことですよ」
「……」
「違います! 私から彼のそばを離れて、」
「あぁ、でもあなたは素敵な女性たちに囲まれていましたからね」

 何が言いたい、と征十郎くんは静かに、でも怒りを声に写して言った。花柳さんはどこか挑発するように続ける。

「彼女のことなんか目にも入っていなかったんでしょう」

 花柳さんのその言葉を聞いた瞬間、私でも分かるほどに征十郎くんが纏う雰囲気が一変した。それに気づいた花柳さんが後ずさる。

「なるほど。きみはどうやら僕のことを怒らせたいようだな」
「征十郎くん?」

 彼の真紅の瞳がぎらりと光る。

「その勇気だけは讃えてやろう」

 その瞳が一瞬だけこちらに向けられて、すぐに花柳さんの方へと戻った。

「だが、誰であろうと僕に逆らうことは許さない。今すぐここから去れ」

 瞬間、私は彼の凄まじい威圧を感じて、ぐっと体温が下がった気がした。当然それは花柳さんも感じたようで、さっと顔を青くしてから去っていった。
 征十郎くんは花柳さんが去っていった方向を強く睨みつけてから、こちらに瞳を向ける。その真紅の瞳にはもう先ほどまでの憤怒の色は塗られていなかった。

「すぐに戻ってこいと言ったはずだが」
「ご、ごめんなさいっ。征十郎くん、ゲストの方と話していたみたいだから、」
「だからなんだ。きみは仮にも僕の許嫁なのだから、堂々としていればいいんだ」

 抱かれていた肩にさらに力を込められる。
 時々彼はこうやって興味のないはずの私に対して、まるで執着でもしたかのように言う。それは自分が所有している私が自分の思い通りに動かないことが気に入らないからなのだろうか。

「分かったか」
「う、うん」
「なら、いい。……行くぞ」

 そう言うと征十郎くんはパーティー会場の出口に向かって歩き出す。まだパーティーは終わっていないのにも関わらず、だ。

「征十郎くん!? まだパーティーが、」
「構わない。もう全てのゲストに挨拶はしたからな。あとは他の者に任せる」

 そのまま私たちはパーティー会場を出て、同じ階にある使われていない部屋に入った。
 がちゃりと重厚な扉が閉まる音がして、先に私を部屋に入れた彼はゆっくりとこちらを振り返る。
 ──その瞳に、再び怒りの色を塗って。



僕って言っている赤司くんですが、実は高校1年なのか中学生なのか決めかねていますw 嘘です、すでに設定されてました。

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