ドリーム小説
何度も言わせるな

 私には幼い頃から結婚を約束された許嫁が存在する。
 その名を、赤司征十郎。日本屈指の名家の一人息子である。
 彼は名家の息子に相応しく、非常に優秀な人だ。赤司家の厳しい英才教育を軽々とこなしていき、人の上に立つに相応しい能力を得た人物となった。学校での成績は常に1位で、強豪である男子バスケットボール部の主将を1年生ながらに務めている。おまけに容姿もよく、その存在感は女子からはもちろん、男子からも一目置かれているのだ。
 そんな完璧な彼が私の許婚で、将来の夫である。しかし、ここに互いの感情は伴わない。私の生まれた家は江戸時代から続く呉服屋の家系で、明治以降はそれだけではなく、高級百貨店や大手商社など様々な方面で力を持つ家であった。赤司家とも先祖代々の付き合いらしく、許嫁の話は私たちがまだ物心を得る前から、親同士で取り決めたことだ。
 当然、私たち2人はそれを拒否することは許されないし、こういう家系に生まれた以上仕方のないことだと割り切っている。いくら時代が進んだからといって、昔から続く風習はそう簡単に失われることはなく、その1つに政略結婚というものがあるだけなのである。
 だが、感情が伴わなかったはずの婚約において、いつの間にか彼に惹かれてしまっていた。もちろん、彼は私をそういう対象には見ていないし、さらに言うのであればきっと私に興味すら抱いたこともないだろう。
 聞かなくたって分かる。彼は私に興味がない。
 私がいてもいなくても、彼は彼で、こちらが彼に話しかけたって、その瞳をこちらにやることはない。私の存在を気にもしておらず、彼にとっては私の存在などあってもなくても関係のないことなのだ。
 だから私が彼にこの想いを告げることはないし、通じ合わなくていい。
 将来結婚して、赤司家を継ぐであろう彼のそばに立ち、支えることができればいい。もしかしたら赤司くんにはそんなことも必要ないかもしれないけど。それ以上の我儘なんて、口にしないと決めている。こういう家系に生まれたからこそ、我慢することは誰よりも得意なのだから。

「あ、あの、征十郎くん」

 さて。今年私たちは高校に入学した。
 私たち2人は許婚ではあるものの、進学する高校は同じでなくてもいいと両親から告げられていた。
 したがって、私は東京の実家から通える名門高校。征十郎くんはバスケットボール部が有名である洛山高校に入学した。
 それぞれ通う高校は違うといえども、その間全く顔を合わせないというわけではない。実際、今日は京都にある赤司家の別邸でパーティーがあるため、私は赤司家跡取りの許嫁として出席することになっていた。

「入ってもいい?」
「あぁ」

 フィッティングルームで着替えをすませた征十郎くんに部屋の外から声をかける。返事があってから、そっとドアノブを握って回した。職人たちによって整備された扉は、音1つ立てることなく緩やかに開く。
 扉の先にはフォーマルな衣装に着替えた征十郎くんが、カフスを調整しながら立っていた。その姿に思わず見とれて、ドアノブを握り、扉を半開きにしたまま固まった。すると、彼は目線をカフスにやったまま告げた。

「扉を閉めてくれないか」
「あ、ごめっ」

 指摘されて、今の扉の状態に気付き慌てて閉めた。慌てたためかがちゃんという音が部屋に響く。両親に見られていたら、品がないと注意される場面だった。今、この場に厳格な両親がいないことにホッとしつつ、改めて征十郎くんの姿をまじまじと見つめた。
 征十郎くんは濃いグレーの3ピーススーツを身に纏っている。ジャケットは彼の肩幅とぴったり合ってスーツの重みが均等に肩に乗っているため、重く見えがちなスーツもいい意味で軽く見えている。袖口もシャツが少し出ていてバランスがいい。スラックスの裾丈も靴にしっかりと合っている。ここまで綺麗に着こなせるということは、きっとオーダーメイドの品なのだろう。また、シャツはどんなジャケットにも似合うレギュラーカラーのシャツに、深い藍のネクタイをプレーンノットで結んでいる。スーツで唯一個性を出すことができる、所謂Vゾーンという場所だが、征十郎くんは彼らしくシンプルに決めていた。ありがちと言ってしまえばそれまでなのだが、それでもとても格好いいからさすがだ。

「征十郎様、こちらを」

 征十郎くんに静かに付き従っていた使用人が白いチーフを差し出す。それを受け取って、彼はジャケットのチェストポケットに折りたたんで入れた。
 使用人はそれを見届けたあと、こちらに一礼する。

様。お久しゅうございます」
「お久しぶりです。スーツ、素敵ですね」
「えぇ、オーダーメイドなのですよ。この日のための」

 少し誇らしげに言った使用人は思い出したように私に告げた。

「本当は今日つける征十郎様のネクタイは様に選んでもらおうと思っていたのですが……」
「え?」

 それは知らなかった。どういうことかと聞こうとしたとき、ずっと黙っていた征十郎くんが口を開いた。

「余計なことは話すな。もう行っていいぞ」

 その声は人を従わせる絶対的な威圧があった。使用人は口を結んで、恭しく頭を下げたあとフィッティングルームを去っていった。
 その姿を見送ったあと、私は征十郎くんに声をかける。

「凄く似合ってるよ、そのスーツ」
「フォーマルな場だ。このくらい当然だろう」

 素っ気ない言葉に苦笑するものの、いつものことだし気にしない。伊達に10年以上婚約者をやっていないのだ。このくらいでへこたれていたら、自分の身がもたない。

「そ、そっか。でも、本当に征十郎くんは何でも似合うね。私なんてドレスに着られてるって感じなのに……」

 征十郎くんの隣に立つんだから、もっとしっかりしないとね。
 笑ってそう言うと、普段はあまりこちらを向かないオッドアイの瞳がこちらを捉えた。その視線は冷たいままだ。もしかして、似合わなすぎて征十郎くんに相応しくないと怒られるだろうか。
 彼の瞳が私を上から下まで観察するように動いたのを感じた。

「え、えっと、ごめん。似合ってないよね。こんなのが隣に立つなんて嫌だよね」
「嫌ではない」
「……え?」

 彼の口が発せられた言葉を自分の頭の中で繰り返して、やっと意味を理解したとき、言葉を失った。聞き間違いかと思った。

「え、っと、……ごめん、よく聞き取れなかった。なんて?」
「嫌いではないと言ったんだ。何度も言わせるな」

 嫌い、ではない。ということは、好きということだろうか。なんて都合のいい解釈は決して口には出さず、それでも「嫌いじゃない」という言葉に思わず胸が震えて、その言葉を噛みしめる。
 征十郎くんは基本私に興味がないから、こうやって自分が思ったことを伝えてくる場面は貴重だ。これは忘れないように日記に書かなくては。

「ありがとう、征十郎くん」
「……行くぞ、そろそろ時間だ」

 そう言って、征十郎くんはフィッティングルームの扉を開けて出て行く。こういうとき、通常であれば男性が女性をエスコートする。しかし、彼のこういった行動こそ私にとっては通常なので、特に気にしない。それに今日は征十郎くんから珍しく想いを告げてもらったから、非常に気分が浮ついている。だからかちょっとやそっとのことじゃ、落ち込まない自信がある。

「うん!」

 私は前を行く彼の背中を追いかけた。


10月に入ってから、とある理由で黒バスに再熱しました。許嫁物って大好物です。

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