ドリーム小説

きみの温かさを知る

12月29日、ウィンターカップ男子決勝当日。
 決勝戦は赤司くん率いる洛山高校と緑間くん率いる秀徳高校の一戦となった。
 2年前を彷彿とさせるこのカードを、私たち関係者はもちろん、観客たちも固唾を飲んでゲームを見守った。
 そして、

『ウィンターカップ男子決勝、勝者は、』

 私たちの冬の決戦は終わりを告げる。

『洛山高校!』



     ***



 決勝が終わり賞状やメダルの授与式が済むと、私たちは休む間も無く京都へと帰ることになる。でも、束の間。本当に短い時間であれば、勝利したそのひとときの余韻に浸ることも許されるだろう。
 このときばかりは赤司くんもいつもの冷静な表情ではなく、心から溢れ出た微笑を口元に湛えていた。チームメイトと讃えあっているその姿を見て、私も自分のことのように嬉しくなって笑顔になる。
 中学から高校への進学と違い、高校から大学への進学で今までやってきたスポーツをやめる人は多い。このメンバーの中にも大学では仲間内で集まってバスケはやる予定はあるものの、部活やサークルにまで入ってバスケをする予定はないと言っていた人もいた。そんな彼らにとっては、今回のこの試合が本当に最後の試合だ。そして、赤司くんもそのうちの一人だった。

「飲み物を買ってくるよ」

 飲んでいた水筒が空になったようで、赤司くんはそう言ってベンチから立ち上がる。私は慌ててそれを制すように駆け寄る。こういうことはマネージャーがやったほうがいい。特に今は試合で疲れているのだ。少しでも休んでもらいたかった。

「あ、私が行くよ?」
「いや、少し熱も冷ましたいんだ。すぐ戻るよ」

 赤司くんは私たちマネージャーにかぶりを振ると選手控室から出て行った。私はその後ろ姿に何処か違和感を感じつつも、踏み入るべきことではないだろうと判断してただ頷いてその背を見送る。
 しかし赤司くんはしばらく経っても帰ってくることはなく、私が彼を探しに行くことになった。何処にいるのだろうと悩んでいると彼は簡単に見つかった。関係者しか立ち入れない廊下。薄暗い冷たいその場所に、赤司くんはベンチに腰を下ろして顔を俯けていた。
 表情は見えないけれど近づきがたい雰囲気を漂わせた赤司くんに、それでも私はそのそばにそっと寄った。一瞬赤司くんの体がぴくりと動いたから、誰かがそばに来たことはきっと気付いている。でも何も言わない赤司くんの姿を見て、私は声をかけることはせずに、静かにその隣に腰を下ろした。
 しばらく真っ正面の廊下の壁を無心で見つめていると僅かに右肩に重さを感じた。赤い髪が視界に入ってきて、赤司くんが私の肩に頭を預けているのだと気付く。首筋をくすぐる柔らかな髪が愛おしくて、すぐそばで聞こえる微かな呼吸音に耳を傾ける。
 廊下の奥から騒ぐ声が聞こえた。きっと選手たちが盛り上がっているのだろう。いつもはこういうときに咎めてくる部長がいないからあの騒ぎ声はもっと増してくると予想して、その通りになっていく様子に笑みをこぼす。
 薄暗い廊下。いつ関係者たちが横切ってもおかしくないのだが、誰も通ることなく、しんと静まっている。
 そこに一つ、声。

「……
「赤司くん?」

 消えてしまいそうなその声は普段の赤司くんからはまるで想像できないものだった。
 でも、私はこの声を知っている。

「お疲れさま、赤司くん」

 そっとその頭を抱き寄せる。抗うことなく私の肩に顔を埋めた赤司くんの手が私の背に回った。背後に回されたその手にはまるで力が入っていなくて、私はさらに力を込めて赤司くんを抱きしめる。
 私に全てを委ね切った赤司くんの吐息が耳を掠めた。

「3年間というのは、早いものだな」
「……そうだね」

 赤司くんのその言葉に込められた思いは一言では言い表せないだろう。
 そして、まだ私はその全てを知ることはできない。
 だからただこうやってそばに寄り添って、抱きしめる。

「お疲れさま、赤司くん」

 もう一度、心からの労いの言葉をかける。
 ふっと赤司くんが微笑んだ気配がして、肩から重みが消えた。私の背に回っていた腕がぐっと私を引き寄せて、今度は私が赤司くんの胸元に顔を埋める番となる。暖かな体温に包まれ優しく後頭部を撫でられて、私はそっと瞳を閉じた。安心しきって赤司くんに体を委ねていることに何処か驚きつつも、こうやって彼に抱きしめられることを受け止められるようになった自分に微笑を浮かぶ。少しずつ慣れていけばいいと言った赤司くんに応えられている気がして、少し照れを混じえながらもそれを心地良く思った。

「こんな廊下で抱きしめあってるなんて、いけないことをしてる気分」
「ならもっといけないことをしようか」
「え?」

 赤司くんは私を抱いていた腕の力を緩めると密着していた二人を少し離した。首を傾げながら見上げた先にはやはり微笑んでいる赤司くん。
 この世のものとは思えない美貌が近づいてきたかと思うと、自分の唇を何かが掠めた。一瞬何が起こったのか分からなくてぱちくりと瞬きを数度繰り返し、続いてその目を見開いた。その様子をじっと見守っていた赤司くんがくすりと笑う。

「なに……」

 ぽつりと漏れたのはそれだけ。キャパオーバー気味の私の頭ではそれ以上の言葉が出てこなかった。
 そんな私に反して、赤司くんは非常に楽しそうに笑っている。何処か無邪気さすらも感じさせるその笑顔に私は毒気を抜かれてしまった。

「可愛いな」

 赤司くんお得意のその言葉にかぁっと顔に熱が集まる。そんな私の目尻を親指で優しくなぞった彼の瞳が慈しむように細められた。

はいつも、オレに欲しい言葉をくれる。それが心地よくてたまらないんだ」
「っ」

 その言葉に私の胸が歓喜で震えた。私が赤司くんに抱きしめられて心地よく思うように、彼も私の言葉を心地よく思ってくれているのか。
 その事実に心が熱くなって、何故か泣きそうになった。

「そう言ってもらえて凄く嬉しい。私ばっかり赤司くんから貰っているような気がしてたから」
「そんなことないさ。オレはきみからたくさん貰っている」

 こつんとおでこをくっつけて至近距離で笑い合う二人の間はとてもあたたかい。見つめあったその先を予感させる赤司くんの瞳の熱に、私はほぅと吐息を漏らした。再び私の後頭部に回った赤司君の手が私の髪を優しく梳く。


「……赤司くん、」

 その予感に、私はそっと瞳を閉じる。赤司くんの吐息が唇に触れたかと思うと、次の瞬間には二人の唇が重なり合っていた。きゅうと彼の服を掴む。赤司くんの手はまだ私の後頭部を撫でている。
 いつ誰が通るかも分からない薄暗い廊下。そこがこのときばかりは私たち二人だけの空間になった。
 薄暗くとても寒いはずなのに、それでもこんなに心と体があたたかいのは、きっと赤司くんと一緒にいるからだ。

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