ドリーム小説

呼び声が・弐

 幸福な夢を見ていた。

 母に寄り添って、私たちを静かな瞳で見守ってくれていた父の夢。私と姉を包み込むように優しく抱きしめて、私たちははしゃいでその体に力強く抱きついた夢。
 姉と一緒に家の庭を走り回って遊んでいた頃の夢。追いかけっこをして、いつも私に捕まっていた姉の夢。
 着ている服が泥だらけになっても、母が整えてくれた髪がぼさぼさになっても、どこまでの楽しく走り回っていた夢。私の姿を見て、くすりと控えめに笑った母の夢。

 姉が私を誘うように笑う。手招きをされて、彼女に近づくと。


 口元を赤黒い血で汚した化け物が、その牙を。姉に。




「姉さん!!」

 ばちりと閉じていた瞼を開いて、最初に視界に入ったのは真っ白い天井。私の体はベッドに寝かされていた。

(生きてる……)

 気を失っていたのかと悟って、自分にまだ息があることに驚いた。てっきりあの瞬間死んだと思っていたから。
 意識が朦朧とする中、頭の中に次々に浮かんだものはきっと走馬灯というものだろう。人が死ぬ直前、ほんの一瞬の間で今までの出来事が頭によぎるというもの。だから私は死を一瞬覚悟して、それでも自らの命を犠牲にしてまで私を守ってくれた家族のためにも生きなければと叫んだんだ。
 助けて、と。
 そして、誰かが私を化け物から救った。それが一体誰だったのかは分からないけれど。

「起きたのか」
「っ!」

 唐突な声に、私は反射的に身構えた。身構えたところで何か出来るわけでもないけど、それでも何もしないよりはマシだと思ったから。
 その声の持ち主は、私が寝かされている部屋の入り口のところに立っていた。
 長い髪を一纏めにした、切れ長の目を持つ男性。特徴的な羽織を羽織っていて、その腰には刀がさげられている。
 男性は眉ひとつ動かさないまま告げた。

「お前の両親は死んだ」

 とてもじゃないが、人の死を告げるような表情でも、声音でもなかった。
 だから私は一瞬何を言われたのか分からなくて、しかしゆっくりとその言葉を噛み砕いていき、唐突に理解した。
 涙がぼろぼろと溢れてくる。別に同情を誘いたいわけじゃない。私だって初対面の人に情けなく涙なんか見せたくないし、止められるものならとっくに止めている。だからごしごしと手で涙を拭って止めようとしているのに、そんなこと意味がないくらい、私の瞳からは涙が凄い量となって溢れ出てきていた。
 全ての感情を削ぎ落とした声がまた私の耳に届く。

「お前の家に侵入した鬼はこちらが対処したから安心するといい」

 ──安心? この人は、一体に何を言っているんだろう。
 自分の両親が目の前で殺されて、そのすぐあとに「もう大丈夫だ、安心しろ」と言われて安心できる人間などいるのだろうか。
 そんなことできないだろう。それができるのならば、きっとその人は家族を愛してはいなかったのだ。いや、たとえ家族を憎んでいたとしても、恨んでいたとしても。人は家族を失ったら、きっと感情が動く。傾慕も、憎悪も、全てひっくるめて、家族への愛だ。
 だから、家族を失ったら。心を落ち着かせることなどできない。
 少なくとも、私には無理だ。

「あの、私の、姉は……?」

 私が問うと、男性は初めて表情らしい表情を見せる。しかしその表情は、まるでこちらの言葉に疑問を抱いているかのようなものだった。
 そして、次に彼が発した言葉に、私は絶句した。

「お前の家に残されていた遺体は成人の男女二人だけだが」

 男性は淡々と告げた。私の反応など気にする様子もない。

「え……?」

 そんなこと有り得ない。
 だって、私を守って犠牲になったのは、父と、母と、姉だ。
 遺体が二つしかなかったなんて、有り得ないじゃないか。

「そんな、……嘘、です。私のほかに、三人、いたはずです……」
「こちらが確認したのは二人だ」
「うそ、」

 確認された遺体が成人男女のものならば、それは私の両親だ。
 では、姉は? 私を助けるために、私の目の前から走って姿を消した姉はどこに行ったというのだ。私のために、外でもない私の前から消えてしまった姉は、その姉の体はどこに遺ったというのだ。
 唇が寒い。感覚がない。私は唇をわなわなと震わせながら問うた。

「姉が、姉の遺体が、あったはずです……」

 私の言葉に、男性がすっと瞳を細めた。それは何かを思案しているようだった。私はその男性の表情を眺めながら、ただ彼の答えを待っていた。
 やがて、男性は答えを導き出して、それを口にした。

「遺体がないということは、俺の到着した時点で既に全身を喰われていたということだ」

 その冷たさは、本当に人間なのだろうか。
 この人も本当は鬼で、だからこんなに冷たくて寒くて。
 私を殺そうと、嘘を、ついているのではないのか。

「お前の姉は、鬼に全てを喰われた」

 それは到底、認められるはずもないものだった。
 何か発しようとして、でも何も口から音は出なかった。喉に水分が足りない。声が枯れている。
 喉が、痛い。痛い。痛い、痛い、痛い。


 でも、もっと痛いのは、この心だ。

 ──

 彼女に名前を呼ばれるのが大好きだった。

 姉が私を誘うように笑う。手招きをされて、彼女に近づくと。
 彼女は力いっぱい、私を抱きしめた。
 それが、考えることを拒否した私の幸福な幻想なのか、白昼夢なのか。
 分からぬまま、再び私は意識を手放す。

[Title] ALASKA